放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

インプロ体験を振り返る

こどもたちとインプロ体験をすることがあり、その中で自分の行動に対してどのような規制が働いているかということを考えている。

 

一緒にインプロ体験をした方が「いかに自由でいられるか」という話をしていた。そもそも自由な姿がどのような姿なのか、という哲学的なことも考えだせばきりがないくらい深い問題なのだが、仮に自分の中に「自由」という枠があるとしたら「自由ではない」ゾーンも存在するわけで、どのくらい枠線と離れたところにいるのだろうかということをインプロした後に考えるようになった。

 

何かになってみたり、何かを表現してみたり、失敗を恐れずに挑戦してみたり、自分で選択して決めたり…

その中で「何になるのが正解か?」「この表現であっているか?」「これって失敗か?」「本当にこれが自分の選びたいことか?」と、自分の中で疑問が沸いてくる。

でも、どの疑問も、線の内側か外側かだけの問題ではなくて、グレーの濃淡の中を行き来するような問いだったりもして…

 

そして、「こうじゃなきゃいけない(かも)」と思って体が行動を選択するのだけれど、実はそう思っていない瞬間があったり、周りの目を気にして選択を変えたりもする。その瞬間に気づくことが、私のインプロ体験の中で起こることだった。

 

選択するからこそ、そうじゃない選択をしたらどうなるんだろうと考えるし、他者からまったく違った視点をもらって「そんな選択もあるのか」と気づくこともある。

うまく言えないのだけれど、インプロは私にとって外側を見る場面をとてもよく与える行為なのだと思う。