今までに書いたものを整理していたら、ノートの端に学習記録に出会った時のことが書かれていた。
初めて学習記録を手にした時
初めて学習記録を作ってみた時
初めて学習記録が完成した時
学習記録作成過程を思い浮かべると、この3つのシーンが思い出される。
今までに書いたものを整理していたら、ノートの端に学習記録に出会った時のことが書かれていた。
初めて学習記録を手にした時
初めて学習記録を作ってみた時
初めて学習記録が完成した時
学習記録作成過程を思い浮かべると、この3つのシーンが思い出される。
聞かれたことに返事をする。
言葉のやりとりの主体を自分に持たない。
相手に合わせて、ただ答えているだけ。
問われることがなければ、自分からは何も発しない。質問もない。
そんな場面が多い気がする。
大学院にきて、「一度学べばそれで終わり」ということはないよなと、つくづく思う。
論理トレーニングもその一つだ。大学生になる前は関心が高くていろいろな本を読んだはずなのに、気付くと教員になってからは教材文を読むことが多くなっている。
論述の場面では、特に思考の仕方が違うと感じる場面が多く、何が根拠になっていて、何が不足しているのだろうかと考えることが多い。いかに自分の思考が、実感ベースだったかを知る。
つくばシネプレックスにて。
学校と家庭と両方の場面が描かれていて、そのつなぎめをみた気がする。
感想は2つ。人それぞれに流れるストーリーがあることを意図した構成になっているが、描かれない登場人物にどのようなストーリーがあったのだろうかということ。
もう一つはユーモアと空想のすてきさ。自分のこころにたくさんの世界を持っている人って魅力的ですね。
今日の授業は2コマ、言語学と文学理論。
研究は昨日に引き続きカテゴリー化の作業。5回目。
何度も検討を重ねながら、語彙の修正をする。
事実、意見、感想、分析……どの語彙でラベルをつけるのか迷いに迷う。
それぞれの記述がどのレベルのことを表しているのかを考える。
書かれていることの検討はもちろんだけど、書かれていないことについても考え始めると、ずっとずうっと広がっていく。
今日は授業1コマと学習記録の記述分析。
授業は、コンテンツのお話。教科書の定番教材について考える1時間。
記述分析は、作成した表からカテゴリーを抽出し、ひたすら分類する作業。文学的文章の授業では、学習課題に対する自己評価よりも、作品に由来する感想や分析の記述が多くなる。
それにしても、級友との交流を挟んだあとの記述はこんなに違うものかと思う。互いに持ち寄ることは書くことへのエネルギーを生む。書くための言葉がたまるって必要なことなのだと新しく知ったように思う。