放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

新聞紙が日常生活の一部ではなくなった。

北海道にいた時から新聞紙が教室や学校の掲示板に貼られるのをよくみていた。

たまたま近くに新聞を活用した実践を展開している先生がいたからだ。

つい先日も教室に新聞紙が貼られている学校を見た。

これは、新聞紙がもうすでに非日常化していることを意味している。

 

もう明示のことだけれど、新聞を取っている家庭は多くない。

学校で新聞紙を使うから、と言っても持ってこられない生徒は多い。

新聞を活用する実践は、そのことを踏まえなければならないと思う。

 

一方で、私もそうだが、電子媒体での新聞記事はよく目にするようになった。

同じニュースについて複数紙読めるし、離れた地域に住んでいても地方紙が読める。

新聞は取っていなくても、電子版の新聞を読んでいる人はいるだろう。

タブレットを使って新聞を読む。

もうそれがいいんじゃないかな、と思う。

 

新聞は社会生活を切り取って編集したものであり、

それを読んで考えて書くといった言語活動には

社会への関心を高めたり自分の考えを持ったりする効果があるだろう。

 

しかし、それは子どもたちの「日常」ではないことを確認しておきたい。