放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

自分にとって価値ある選択をするためには。

毎日は選択で満ち満ちている。そう思うことはありませんか。
 
朝ごはんは何を食べよう。夕食は何にしよう。
ああ、今日は暑いのかしら。何を着よう。上着は必要かな。
という日常レベルの選択もあれば、
 
私はこの先どこでどう過ごそうか。
どの職を選んだら幸せになれるのだろうか。
という自分の人生の分岐点となるような選択もある。
 
どれを選んだらいいのかわからなくて戸惑うこともある。
「現状維持」を選択して時間が過ぎていくこともある。
大胆に方向を転換するときもある。
 
正解はない。ただひたすら自分の選択があるのみですね。
思い切って言うと、選択するということは、一方を選び、一方を捨てるということです。
(捨てずに、妥協するとか、折り合いをつけるとか、
   新たな選択肢を生み出すとかいう方法もありますが、ひとまず置いといて)
 
情報量が多くなり、多様化、個別化が進む中で、
私たちが選択しなければならないことは多くなっています。
その際に必要になるのは、核となる自分自身ではないでしょうか。
自分を知らねば自分にとって必要なものは見つけられない。
自分が何に心を動かし、何をしたいと思っているのか、
そこが見えてこないと、「とりあえず」の選択の繰り返しです。
 
教育実践も、選択の一つです。
私たちは、書籍やネット情報で、全国各地の実践や授業ネタを知ることができる環境にあります。
たくさん知っていれば、たくさんやってみたくなる。
これが人間の心理ではないでしょうか。
 
ただし、そこに「自分」はあるのか、という疑問です。
私は、魅力的な商品を消費するような学びをしているのではないか、
とずっと思ってきています。
 
だから、記録を残して自分を省みることが必要だと思うのです。
この実践は本当に自分で納得してできているのか、
そもそも楽しいと思えているのか、
それを受け取る子どもたちはどう思っているのか……。
本当に必要なものを選択したい。
未来を生きる子どもたちにも、自分の価値ある選択をする力を持ってほしい。
それで、「学習記録」にこだわっているわけです。
 
昨日も図書館で読みました。
大村はま国語教室の実際

大村はま国語教室の実際

 

 上巻最後の『ことばの海 ことばの森』という実践が素敵で、

「選ぶ」ということについて思っていることを言語化してみたくなりました。

 
何を選んでもいい。
その時の自分のことばで、自分の学びを表現できるといいなと思います。