放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

決まった毎日の中で淡々と書く。

午前中は作文の授業の学習記録の分析。記述を切片化し、それぞれにラベルを貼ってカテゴリーに分け、全体の枠組みを見る。

読みの授業と違って進捗状況が書かれることと、個人の上手くいかなさに焦点がおかれることが気になった。

 

たまたまお昼に一緒になった院生さんと夏休みを挟んだ授業における作業時間の個人差について話題が及ぶ。こちら(教師)が準備してあげられたらいいんだけど、時間がなくってえいやっとやってしまわなければならない場面って必ずあるよね、という話になる。足並みをそろえるというか、一斉指導では次の展開にすすまなければならない場面がどうしてもできてしまう。そういうことを考えると、はじめとおわりがある1度きりの学習ではなく、継続の中で淡々と作業が進みながら、その中で学べることが大切なんじゃないかとも思ったりする。

 

学習記録は毎時間決まった形式の中に記録を書き続けるのだけれど、それは1時間目も140時間目も同じで、そういう決まった毎日の中で自分に起こる何かを見つめてことばにしていくことに意味があるんじゃないかと思っている。