放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

プロセスに立つ

修士論文の中間発表会の日程が決まった。5月の構想発表会の時もそうだったけれど、「早く終わってほしいな」という気持ちになる。

締切の設定は集中力を高める効果があって、限りある時間をいかに使うかを意識させる。一方で、最終的に自分がなりたい姿を描けていないと、何のために場が設定されているのかわからなくなる。目的を見失うと、タスク処理的に通過することだけを良しとする活動になる。

授業づくりの話をしていても、「目標→達成」の枠組みにいかに縛られているかを感じる。さまざまな経験を重ねるほど、単純な問題の解決ばかりではないことは中学生でもわかっている。50分で身に付くことばかりであれば簡単だけど、乗り越えたいと思う課題はたいてい簡単なプロセスで終わらない。

しかし、目標が提示されていれば、ひとまずそれを通過すればよいという固定的な評価の目ができるわけで、あまり深く考えずとも、とりあえず「やった感」だけが残る。

活動が終わってしまえば、一旦思考することから逃れられるわけで、なんだか、学校の中ではこういう学びが多いよなぁ、と思ってしまう。本当は、発表会もその先の学びをつなげることができる場なのに、本来の目的を失って、単なるゴール地点となってしまう。

もっと、一つ一つのプロセスを自分のために楽しめるといいのだけどなぁ。

できない自分がいろいろと変化していくプロセスに立っているんだって、そう思うことが必要なんじゃないかと思う。