放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

書くことで伝えたい、書くことで伝えてほしい。

私は書いてあることへの信頼が強いのだなと思う。

信頼というか、やむを得ず書くという手段を取る、と言ってもいいのかもしれない。

 

例えば、ある人から相談を受けて、話を聞いているその時にはただ話を聞いて時々に思ったことを返す。自分の感想からちょっとした助言をすることもあるだろう。ある程度の時が経って、相談が終わる。そして、私たちは別れる。

ふと、ひとりになって、自分の中に言葉がたまる瞬間がある。「ああ、こういえばよかった」と思うことがある。「どうしてもこれを伝えたい、でももうタイミングを逸してしまった」そういうことがある。

大半は忘れてしまうのかもしれない。だけど、これは言っておいた方がいいかもしれない。そう思った時、まずペンと便箋をとって手紙を書くことがある。

 

他者とコミュニケーションを取っている中で、その場で伝えられないことがある。その原因は自分の言いたいことがまとまってないとか、自分に起因することもあれば、相手が直接言葉をやりとりできないとか、相手や場の状況に起因することもあるだろう。

 

いずれにせよ、面と向かって言えなかったことを、書いて伝える。

書くことで伝える、書くことで伝えてほしい、そういう願いが強いのだなぁと思う。

「役立つか立たぬかって、つきつめないで書いたほうがいい」

大村はま国語教室』第十二巻「学習記録あとがき集によって学ぶ」には、さまざまに学習記録作成の意義を言葉を尽くして書きながらも、とにかくまめに書くことも伝えている。 その一つのエピソードに江戸時代の農民によって書かれた記録がある。

書かれたものがのちの人によって読まれ、今日のさまざまなことを考えるきっかけとなっていることはよくあることだろう。

記録することの価値は書いている時だけでは語れない。

研究の軸が持てない。

研究の軸が持てない。

これってつまり、自分を見失いがちってこと。

 

修士論文にまつわる研究をしていながら、自分のふがいなさを思うのは、テーマが一貫していないことだ。一念発起して大学院に来たっていうのに、ブレブレの自分を思い知っては恥ずかしい気持ちになる。

面談に行って指導を受けるたびにテーマや方法がブレていく。これは、「修正する」と言えばいい傾向に見えるけれども、さまざまな批評に晒されながら、自分自身の考えを見つめ直して行くうちに、自分自身が初めに志したことを忘れてしまうことにもなる。「その程度」の志だったのか、と思って自信も失う。自信がないから、何か安定的な形式や方法を探し求めてしまう。結果、他者の思考様式を貸借する形で表現に表れる。

それは自分の研究って言えるのか?

純粋なオリジナルはないにしても、自分のストーリーを築けるかということと向き合わずして研究は生まれない。

「未来のミライ」を観に行く。

つくばシネプレックス。6回利用すると1回無料になるシステムを使う。

いつものことながら客足まばらなレイトショー。

細田守作品は時をかける少女しか見たことがなかった。間の作品を見ればもう少し何か感じるところがあったのかもしれないが、期待よりも心動かされるものはなく…。事前に見ていたポスターで未来ちゃんが左上から降りてくる構図を、時をかける少女と重ねて見ていたのだけれど、それも大きな仕掛けと言うわけでもなさそうで。

今回の発見は、細田守作品が7月20日という時期の風物詩となっていること、一貫して青空と入道雲が背景になっていることだった。

国立国語研究所、国文学資料館に行く。

論文収集のために東京立川にある国文学資料館へ向かう。

思ったよりも敷居が低いというか、手続きに困ることなく文献の複写ができた。

館内は静かで涼しい。文献がどれも丁寧に保管されている。

利用者がどのような本を手に取っているのかとても気になった。

条件設定をどこまで教師が設定するか。

今日は授業参観がメイン。

子どもたちの姿を直接目にすることが、自分をどれだけ思考の場に立たせてくれるのかを実感する。私は、教室で考える人なんだなと思う。

今日の授業では、創作活動において条件設定のあり方をどのように持つかということを考える。自由であることの困難さと、自分で選択する力と、どちらをどれだけ持てるだろうか、考える。条件設定があることは取組やすさを生むけれど、与えられることに慣れてしまえば、条件がなければできないことになる。

本当に力をつけるってどういうことなんだろう。

猛暑の中を歩きながら考える。

暑さから逃れる、束の間。

久しぶりに北海道を訪れる。

15日(日)は初めての関ジャニ∞コンサートin札幌ドーム、16日(月)は劇団四季サウンド・オブ・ミュージック」を楽しむ。

3連休ということもあり、老若男女たくさん人が足を運んでいた。

 

それにしても、北海道の涼しさよ。

最高気温がエアコンの設定温度くらいの過ごしやすさを体感する。涼しい…というか、寒いくらいで。猛暑だった本州から逃げるようにして3日間を過ごす。思えば、盛岡での4年間も、夏場はほとんどを実家で過ごしたのだった。

研究室用に買ったお土産のチーズケーキも喜ばれ、北海道の素敵さを改めて思う。