放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

樽前山から支笏湖を望む。

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かろうじて咲いていたイワブクロとマルバシモツケ

 

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今回は東山コース。分岐から頂上へ向かう。


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頂上からの支笏湖の眺め。


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7合目まで車で上がれるので,そこから50分程度で頂上まで来られる。

支笏湖を眺めながら登ることができるので飽きずに歩き続けることができた。

動き出す学校 ―6月の振り返り

■登場人物の読み取りー椎名誠「アイスプラネット」

奇をてらわずに,オーソドックスな描写の読みとりをする。

「僕」「母」「父」が「ぐうちゃん」をどのように見ているか,

を課題として,全文から一つの描写(会話文,行動描写,心情描写)を担当する。

40人で描写を分担し,それぞれの分析を持ち寄る。

一つの描写からどんなことがわかるのか,言語化する。

 

一人一人発表をして,お互いにコメントをし合う場づくりをしたかった。

しかし,発話が多いことで感染症拡大が懸念されたので,私が全員の作文を読む。

生徒はメモをしながら聴くだけ……。場としてはちょっと残念な展開になるが,

年度の前半に全員の作文を全員で読むことができたのは一つのポイントであった。

 

■四字熟語大会(ゲーム開発会議)

臨時休校の影響で土曜授業が月に一度入ることとなり,

1週間に6日間国語の授業が続く日もあった。

同じような展開だと飽きてしまうので,土曜日は特別授業にすることにした。

 

ちょうど熟語の構成を学習中だったいうこともあり,

チャレンジ100のアイディアを織り交ぜながら学習ゲームの1時間を実施する。

ただし,ルールはみんなで意見を出し合って決める。

例えば,四字熟語は,「給食時間」「時間割表」のような日常で使う熟語でもよい,とか。採点方法をどうするか,とか。

 

第1種目は「タイムトライアル」。

5分でいくつの四字熟語が書けるか。

臨時休校中のチャレンジ100のアイデアの一つ(生徒考案)。

正解と判定するのは,学級のみんなだ。

過半数が「いいよ」と言えば,四字熟語として認定される。

 

第2種目は「ビンゴ」。

ビンゴ表に指定した資料の四字熟語を書いて,読む。

私がランダムに指定するクラスと,ランダムに当たった人が指定するクラスに分かれる。

四字熟語を覚えろ~と言ってもなかなか難しいが,

ゲームをしながら自然と多くの四字熟語に触れられるのはなかなか良い。

 

ゲームは,モニターのフィードバックをもらってアップデートする。

参加者が楽しく学べるということが,何より大切なこと。

今月もまたゲーム開発会議という名の土曜授業がある。

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芸術の森美術館で蜷川実花の写真展を見る。

アートに触れる生活も戻ってきた。

国語チャレンジ100をつくる ー5月の振り返り

臨時休校中の課題を出すことになり、いくつかの学校ホームページを閲覧しておもしろそうな課題がないか探してみた。

その中で、最もやってみたい気持ちになったのは、風越学園のチャレンジ100だった。

https://kazakoshi.ed.jp/kazenote/dandan/5649/

 

まずは自分で作ってやってみる。

最初に自分で作ったチャレンジは、教科書教材や既存の知識に縛られた課題ばかりで

やってみようという気持ちにつながらなそうだなと思った。

どうせやるなら作文のチャレンジにしても、いままでやったことがないものがいいなと思い、何度か作り直す。

他校の国語の先生にアイデアをお借りする場面もあった。

 

40のアイデアを作り終わり、子どもたちに配り、ほかにどんなチャレンジアイデアがあるか募集した。

すると、自分たちの日常生活を題材としながら表現を愉しむ課題がわんさか溢れ出す。

各クラスのアイデアを寄せ集めて国語チャレンジ100が完成した。

 

臨時休校明け、はんこを押すのに一苦労、何ページにも渡るが、しかしどれも面白い。

誰がどんなチャレンジを選んだのかを知ることができたのもよかった。

まだ一人一人と話もできていない5月だったので、興味の方向が見えるのも大事なことだった。

立ち上がってくる一人一人の姿を思い浮かべながら次の単元を考える。

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長いフレーズで学校再開後の授業を描けるか

「長いフレーズを作るのが指揮者の役目だ」

 今週は,小澤征爾村上春樹が音楽について話をする本を読み続けた。印象に残ったのは,カラヤン先生がシベリウスの五番が好きだったという話から,小澤征爾カラヤンの持論を次のように話していたことだ。

演奏もとてもとても素晴らしかったけど,この曲を使って弟子に教えるのもうまかったな。長いフレーズを作るのが指揮者の役目だと,よく言われました。スコアの裏を読みなさい,と。小節をひとつひとつ細かく読むのではなく,もっと長い単位で音楽を読め。僕らはね,四小節フレーズとか,八小節フレーズとか,そういうのを読むことには慣れています。ところが彼の場合は,十六小節とか,もっとすごいときには三十二小節とか,そういう長い単位になってくる。そこまで読めと言われます。そんなことスコアには書いてないんだ。でもそれを読むのが指揮者の役目なんだと。作曲家は常にそれを頭に描いて楽譜を書いているんだから,そこまでしっかり読みとりなさいと。それが彼の持論なんです。(p.121)

 

目の前のことを一生懸命やるだけでは響かない

 この部分を読みながら,演劇や合唱の指導はどうあるべきなのか考え続けた日々を思い出す。

 2014年からの3年間,勤務校の学校祭が演劇と合唱コンクールをメインにした行事だった。その経験の中で見方が大きく変わったことは,演劇や合唱が「時間」を共有するものだということだ。はじまりがあり,おわりがあり,基本的に中断を許さないからこそ生まれる緊張感がある。そして,一つの時間の中で何らかのストーリーを描くことにより,見ている側・聞いている側に何かを伝える。

 合唱練習なんかは,どうしても短く区切ってそれぞれの小節を細かく「こうしよう」「ああしよう」と言いたくなるのだけれど,部分部分の完成度が高くなるだけではうまくいかない。1曲すべてをffで歌っても聞いている方は途中で飽きてしまう。この部分は最後のここを強調するためにこうしようとか,全体の中で部分を捉えることが重要なことだと学ぶ。

 

長いフレーズで学校再開後の授業を描けるか

 教師の仕事が仕事として成り立つには,ある程度の全体像を見通すことができるかどうかにかかっている。そして,どうやらその見方には解像度の違いがある。より具体的に,鮮明に,子どもたちの学ぶ姿を描けるだろうか。今も子どもたちのことを知る努力をしたり,何をどう提示するのか試行錯誤したりしているけれど,その一つ一つが最終的にどういう方向性に向かっているか,感じられているだろうか。

 

4月、何を考えていたか

大きく生活も文化も揺れ動いた1か月だったので,5月も半分終わったというのに,まとまった文章にすることもできず。ただその都度思ったことを書き残しておく。

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・自分のことも,相手のことも,まだ知らないうちに判断するのは早いのではないか。

・学校に集まれば感染リスクがある。 交流ができないことをどう受け止めたらいいのか。

・学習者とのやり取りができない,学習支援ができない,困った時のケアができない,顔が見えない,修正ができない・・・・・・気づくと「できない」ことばかり考えている。ネガティブな記憶を集めているだけでは物語は歪む。

・持続可能性を考えたい。面白いことは意識せずとも続けられる。
・状況が変わっても続けられることを大切にする。

・学習者の記録は、自分の評価軸との対面でもある。「覚えた方がいいのか?覚えなくてもいいのか?」 言っていることと,していることの齟齬が見られる。

 ・このくらいの一人の時間があると,物語が読める。

 ・安易に表現できないことがたくさんある。

 ・文化的環境に左右されずに表現する力を身に付けるには,どうしたらいいのか。知識とは何か。

「烏」から考える

 「枕草子」第一段で「烏」が出てくる。

私は古典における風物がどのように取り扱われているのかがとても気になる。

万葉集においてはホトトギスやウグイス,雁が多く見られるわけだが,枕草子はどうしてここで「烏」なんだろうと思う。

また,秋の夕暮れ時に烏の飛び急ぐ姿を「あはれなり」と評しているわけだが,どうしてここだけ「あはれ」なのだろうと思う。

 

論文検索してみると,同様の問いに対する論文があって,枕草子内で「あはれ」が親子や家族に関する感情としての用例が見られること,漢籍の中での烏が孝行を示す鳥として扱われていること,漢籍に精通していた清少納言がその見方を取り入れたと考えることができる話があった。興味深く読んだ。

 

生活経験としても, 「烏」は日常生活によく登場する存在だ。「烏」に対する感情もさまざまで,日常をどのように見ているかがわかっておもしろい。

日常の切り取りという意味では,インスタなんだなとも思う。

 

小さな失敗の積み重ねで

年度末に学習記録の冊子をつくるため,年度の始めにプリントを保管するためのクリアファイルを生徒全員に配っている。

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授業で扱ったプリントをすべて保存しておくためにしているのだが,現実問題,必ずと言っていいほど,プリントをファイルごとなくしてしまう人がいる。

そして1回目の冊子づくりの時に,「先生,なくしてしまいました」と申し訳なさそうにやってくる子がいる。

いつもこうなので,プリントをなくしがちなタイプの生徒にはすでに冊子型になっているノートを使うように促し,プリントをノートに張り付けるようにする。

この間は,それもせず,「新しいクリアファイルをもらってもいいですか」と言うので,「これは国語のファイルです。」とテプラでラベルを貼ったクリアファイルをあげた。

喜んでもらった彼は,結局そのファイルを学年末までルール通りに使って冊子を完成させた。

全員が失敗しないためのシステムはいくらでもある。

しかし,失敗を経て,次はどうしたらいいのかを一緒に考えるチャンスがあるってことのほうが,学校らしいんじゃないかと思う。