今週、もっとも心が弾んだ授業は国語科教育法だった。
今年は大村はまの歴史的アプローチによる検証がテーマだ。
詳しい内容は言えないけれど、大村はま実践の美しくない部分をたくさん見た。
そりゃそうだ。どんな教師にだって、試行錯誤はある。
大村はま実践は大村はま先生にしかできないものだけれど、そこで思考停止していては何も生まれない。そこから何かを抽出して、汎用性を見出すことができないか。
大村はまもきっと、ずっと、このままではいけないと思いながら授業に立っていたのだろう。
なんだか、感傷的だが、希望を感じる75分だった。
私は学習記録を北海道からダンボール何箱分も持ってきた。
しかし、自分の実践を直視することに躊躇っている。
そこには子どもたちの努力と共に、私の未完成で美しくないものがごった返しているからだ。
やり直しのきかないことはわかっている。
だからこそ、そうすることしかできなかった自分に悔しくなるのだ。
でも、それが当たり前で、現実なのだ。
はじまりはいつもそこからで、心の引っ掛かりに立ちどまってもいられない。
時間はかぎられている。
方法に検討をつけたら、あとは坦々と資料を解読していこうと思う。
たとえこの先に湧き水がなくても、進まなければ何も始まらないからだ。
困難や苦労を味わいながら、その先に見えるだろうヒカリを求めて、今日も新しい何かに出会うことを期待はしようと思う。
純粋な気持ちで学問と真正面から向き合いたい。
それが今のわたしの希望なんだ。