放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

実践と分析はどこまで寄り添えるのか。

過去の教育実践演習で作成された指導内容と分析を読んでいる。

ペアで1冊読むという設定だ。

これはとても機能していて、

一人でやろうとすれば事前の動きが見えないものだが、

ペアでレポート作成しようとすると役割分担も生まれるし、

お互いに解釈を確認することができる。

私もレポートの細かなことから読み取り方まで一緒にレポートを作成しながら学んでいる。

 

前段が長くなってしまった。

その実践内容と分析をたどっていく演習には

これから自分たちが行う実践と分析を見通す意図もある。

そのことを意識しているからか、私たちのこの演習に対する話題は

  • 目標を達成するための実践方法が妥当か
  • 分析結果は十分になされているのか
  • 実践に対する分析は本当にこれでいいのか

ということになる。

手厳しいストレートマスターの指摘に現職教員の内心はとてもハラハラする(苦笑)。

 

これまでの研修を振り返ると、十分な分析・検証はとてもじゃないが、できていない。

では、どうしたらできるだろうか。

何をどのように行うことができるのだろうか。

私の問題意識はそこに置いてある。

 

実際にこれまでの演習の実践を見ていくと、年度によっては実践が充実しているのに分析が甘かったり、「もう少しこんな視点で分析できたのではないか」という疑問が自然とわき出てくる。

例えば、プロトコル分析(主に発話の文字起こしをして分析する方法)は人と時間のなせる技という側面もあるけれど、教員と学習者の関係性を読み解く有効な材料になる。学習者の内的変化の過程も、細かく分類していくと見えてくるものがある。

 

ただ、実践を通すと、徐々に最初の目的と離れていくことになったり、

見落としてしまった部分があったり、主観的解釈で終わってしまったりと、課題が見えてくる。

もっと別な分析方法はないだろうか。考えたくなる。

 

授業分析の視点はこれまであまり真剣に考えてこなかった。

これから考えることはたくさんありそうだ。

 

 

 

 今日はこれを聴きながら。どこから聴いても素敵です。

Ost: La La Land

Ost: La La Land