今日は書くことの評価に関する論文を読みました。
生徒の作文をどのような内容だと判断し、
どのように評価をするのか、
そこから見える傾向は何か、
こんな論文でした。
忙しい日常では作文添削に時間をかければかけるほど自分の睡眠時間が削られます。
生徒に書かせるのはいいけれど、何がどうなのか言語化してフィードバックすることはなかなか大変な労力です。
だから、作文評価の曖昧さが生まれます。
曖昧さを埋めようと、スキルを明示したり、具体的な目標を与えたりします。
それでもやはり、無意識に評価を行なっている場面もあります。
今日の論文を読んでいると、教育実践の論文執筆は、普段無意識に行われていることにスポットを当て、言語化を試みる作業なのではないか、とわたしは思いました。
今日の気づきでした。