校内研修で授業研究をした。
久しぶりの公開授業で,指導案作成にだいぶ手こずっていたが,
何のためにこの単元が必要なのかを考えて作れたことは嬉しいことだった。
相変わらず自分の思いが先行している点は自覚しなければならないけれど,
その先へは,まだ進めていないこともよくわかった。
授業中に視界がクリアになった瞬間は,
書評の書き手と,想定した読者が,書評に対するコメントを通してつながる時だった。
今回は共通の作品2点に対して書評を書いた。
クラスを二つに分けて未読の読者がいる場を作り,未読の読者が読みたいと思えるように書評を書くことを学習課題とする。
書き手が「誰に向けて書いたのか」が自分にとっては重要なことに思えた。
表現や構成うんぬんよりも,誰に向かって伝えようとしているのかが書き方を決めると思っていた。
だから,書評発表の場で発表者が誰からのコメントを必要としているのかを考えた時に,最初に想定した読者に聞くことが必要に思えた。
少し時間が経って,この瞬間への自分のこだわりが強かったことに気づく。
自分が授業を参観する場面でも,生徒同士の温かなやりとりに焦点化することがよくある。
これってとても「教師っぽい」見方だなと思うけれど,
一方で,仲良しになれればそれでいいのか,と突っ込みたくなる自分もいる。
自分自身への気づきとして留めておこう。