論文を書くことは生き方を考える問題だった。
2020年,新型コロナウイルスの影響で学校が休校になっていく前後,私は大学院を修了したばかりだったので,現場に戻ったらたくさんの実践をして,論文をいっぱい書くのだ!と思っていました。査読論文の投稿にもチャレンジしていましたし,ギラギラしていました(笑)。
今は,その気持ちが薄れています。なぜかというと,日常にやるべきことがありすぎるからです。私は国語科の教員ですが,授業で言えば,道徳や総合の授業も考えなければなりませんし,担任になれば学級経営や生徒指導も,学習者の安心して学べる環境づくりのために重要な業務です。中学生の学校生活をより充実したものになるために欠かせないものとして部活動もあります。学校運営上,自分に与えられた職務もありますし,教科指導の実践だけに力を入れて行なっていくには,一般教員としての働き方には多少無理があります。中学校の教育現場で働くとは,そういうものだなって思っています。
実践をすることは,そもそもその質をある程度高めたいという教師としての欲望と付き合っていくことになります。もっといい授業をしたい,もっと力のつく授業はどのようにできるのだろうか,日々そんなことを考えます。しかしながら,日常のやるべきことをやっていると,明日の授業をどうするかを考えて,研究課題を意識したり,課題に関する先行研究はまともに読めないのです。少なくとも私はそうです。
となると,実践の質を高めるために,教材研究をすることや,単元構想を考えることに時間が費やされていきます。目の前の学習者のために,明日の授業をどう作っていくかが日々のミッションになっていきます。実践者として最大限力を発揮したいという願いが教師として生きる時に最も大きくなっていくのです。
ここまで書いて,大学院修士課程修了以後,特にコロナ禍から元の教育活動を復元させようという流れの中で,ずいぶんと研究分野から気持ちが離れてしまったなぁと実感します。研究論文を書くことについては,実践を先行研究の文脈の上で位置付けるためにも重要なことだと考えていますが,36歳の私が,果たしてこれから何をどれだけ書けるのだろうかと考えてしまいます。
夏休み中は,これまでの国語科教育学研究のレビューを見たり,いろいろな人にお会いしながら自分の軸足をどこに置くかを考えたいと思っています。