放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

思考を促すことばの提示

充実した学習記録の記述はどのように生まれるのか。

そのヒントとして、学習の手引きを読む。

 手引きの特徴として、思考を促す具体的な言葉がある。たとえば、初発の感想で共感したことを考えさせたければ、「そうだ、ほんとに」「まったく、そのとおり」「そう、そんな感じ」…などと、思考過程で子どもたちが使いそうな表現を提示する。その表現をもとに、子どもたちは自分と対話することになる。これらの言葉が子どもたちの実感に近い表現であればあるほど、思考を言語化する手立てになるのだろうな、と思う。

アランフェス

 東京オペラシティ

フィリピンフィル。

3階席1000円。

アランフェス協奏曲。

 

 モバイルを持たなくなってすっかり時代遅れの人間。

移動中に読んだ本。

伏線の女王。

かがみの孤城

かがみの孤城

 

目をつぶりたくような怒りの表出。

抱く女 (新潮文庫)

抱く女 (新潮文庫)

 

少しだけ後味悪し。

困っている。

大村全集12巻より、学習記録の効果・効用のまとめ。それからノート指導実践のまとめ。そして大量に文献印刷。要領を得ていないが、時間を使ってとにかくやっていくしかない。「しかない」と言っている時点で、思考停止している自分に気づいている。だいぶわかってきたと思うけれど、それでもやっぱり研究論文の書き方がわからない。

「そもそも…」に立ち戻る。

修士論文中間発表会が終了。

発表内容としては、これまでの記述分析の結果と考察、章立ての報告だった。自分でも課題だと感じていた研究としての位置づけが十分に言語化できておらず、今一度「学習記録」の意義を問い直すことが必要だとわかった。学習方法としての記録を書く価値、実践としての学習記録の価値を言語化していこうと思う。

そのためには、類似の方法との違いも明らかにすることが必要で、先行実践の交通整備がやはり必要な作業となってくる。また、実践と研究の違いも意識することが必要で、まだまだ論文を読むことが必要であることを思い知る。

次のことを考え続ける

昨日と今日はほぼ2日間まるまる資料作成で過ごす。4月から始まった記述分析の視点は、5つの単元の授業分析の視点を得ることとなった。どの授業も反省しないことはないわけで、ジャッジを下ろさずに認識を記述していくことが最も困難なことだった。極端にネガティブに振り切ってしまうことがあると自分のいたらなさを直視できず、書くことが苦しくなるのだけれど、そんな中でも淡々と次のことを考え続けることが必要だな、とここ数日学ぶ。

小手先だけの分析になっていないか?

これまで試論として取り組んできた記述分析を、一つの枠組みに沿って可視化する作業を行っている。記述を数値化して表やグラフにすると、今まで見えなかった事実が浮き上がってくる。

しかし、このデータは仮想世界のもの。私たちは授業分析をしようとしたとき、実際の授業の場から離れて、記述を行わなければならない。実際の授業とあまりにも乖離した分析になってしまうことも考えられる。

新たなことがさまざまに見えてくるのはおもしろいけれど、小手先だけで見えるようになったことで満足していてはダメであろう。データは考察のための材料である。いかにここから認識を深められるだろうか。私自身の一番の課題である。

ざっくりと1年間の学習記録を読んでみた。

引き続き、これまでの調査結果をまとめた中間発表の資料を作成した。

と同時に、新たな調査も進めていく。先週末にデータ化した抽出生徒の1年間の記録である(計画では3年間分見る予定が、資料が見つからなかったりして後回しになりつつある…)。

これまでに記述内容の枠組みを作ってみたおかげで、どんな授業でどんな内容が書かれているのか分類することができる。

keynote.hatenablog.jp

keynote.hatenablog.jp

具体的に表現することができるか。

記述内容を見る限り、これまでの枠組みと齟齬を感じるものは見当たらなかった。一方で気になってくるのは、具体的記述がなされているかどうかである。

私の授業では、「~した」「~わかった」といった記録が多く見られるのだが、やはりこれだけでは具体的にどのような学習過程で、どんなことが新しく知ったことなのかわからない。この辺り、もう少しフィードバックできたらよかったなぁ、自分の授業で意識できたらよかったなぁ、と思うのだが、実際に、何人かの生徒の記録には取り立てて指導はしていないものの、具体的に表現する傾向の記録がある。

どのような具体的表現が記録に見られるかというと、

・テストなど評価場面での自分の行動パターン

・今後の学習で意識していきたいこと

・創作物などの価値

・学習過程のモニタリング

・発表場面の自己評価

・文学的文章を読んだ後の作品の分析 など

で見られた。これは抽出生徒の一例なので、なんとも言えないのだが、自分に矢印が向いている記述が多い気がする。

授業後に感想を書くだけでは振り返りにならない。

もう一つは、振り返りの機能である。私は毎時間の授業で必ず学びを実感するとは思っていない。導入期はこれからどんな目的で、どんな活動をするのか見通しを持つために、説明を聞くだけの授業となることもある。ただ、単元の終末にはどんなことが学びとして得られたのか言語化することが大切だと思っている。

その点で言うと、自分の授業ではゴールイメージが曖昧で、毎時間の授業が知識伝達に重きが置かれ、単元を通してつけたい力が授業づくりに活きていない。テストに追われていたりして、なかなか学びを振り返る時間を持てていないのかも…と思う。毎時間の記録を書くことだけが振り返りではないのだなぁと改めて思う。

 

なんにしても、一人の生徒をざっくりと読んだだけなのでまとまったことは言えないが、学習者の年間を通した記録は、遠く離れてしまった過去の授業と向きあわせてくれる。自分の思考の癖を見直して、リセットするために必要な作業だなとつくづく思う。