放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

知識との闘い。

田村学さんは「深い学び」について次のように述べる。

「深い学び」とは,「知識・技能」が関連付いて構造化されたり身体化されたりして高度化し,駆動する状態に向かうこと(p.64)

深い学び

深い学び

 

夏休み前の授業作文で,「もう少し内容を濃くしてほしい」「物語に深く入ってみたい」「知識をノートにまとめたい」 といった感想が書かれていた。もちろん,これらの記述にはさまざまな学習者固有の文脈があるわけだけど,「知識・技能が…」ということと併せて考えると,読み取ったり新しく獲得したりした知識に対して自分の目があまり向いていないことがわかる。

しかも,軽視というよりは,勉強不足という見取り。自信がなくて,あいまいにしてしまっていることは見透かされている。

「問い」とは何か,といった突き詰めて考えることが必要だなと思う。そのためには,自分がその時点で考えていること,自分の願いを人に話すことが必要だ。話すことで,自分が伝えようとしていることが伝わる具体になっているのか,その他に考えられる余地はないのか,他者の力を借りて自分の文脈を掘り下げなくちゃいけない。

その瞬間その場の判断がその時の申し分ない答えなのだ。

肌寒いくらいの北海道の夜に1冊の本を読む。 

つみびと (単行本)

つみびと (単行本)

 

 丁寧に丁寧に,当事者の物語を紡ぐことを考える。そんなモード。

 

* * *

何気なく流し聞いていたBS放送大学がおもしろかった。

宮下志朗先生のスペシャル講演。

bangumi.ouj.ac.jp

あちらの土地にも、完全な宗教があり、完全な政治があり、あらゆることがらについての、完璧で申し分のない習慣が存在するのだ。

モンテーニュ『エセ―』より


そうそう,「完全」で「完璧」なのだ。

何か足りないとか,劣っているとか言われても,その瞬間その場の判断がその時の申し分ない答えなのだ。

後から振り返ったときに判断するのは,選択の善し悪しではなく,その選択しかできなかった自分の状況の理解なのだなと思う。

 

ただ単に話を聞いていても,自分のこれまでに遭遇した場面と知識がつながる瞬間がある。

10月14日(体育の日)にファシグラセミナーを開催します。

現場に復帰してはっきりとしてきた問いは,

教師が実践とどう向き合うのかということです。

 

さまざまな方法がある中で何をどのように選択するのか。

学習者とどのように価値の共有をするのか。

自分が所属する学校の中でどのように運営していくのか。

実践する中でどう価値づけていくのか。

日常にどのように溶け込んでいくのか・・・

 

学習者+方法+教師の選択がどのように関連し,どのように相乗効果を持って教室の事実を浮かび上がらせるのかが気になっています。

その一つの切り口として,北海道の藤原友和先生とセミナーを開催することにしました。

 

 

藤原友和さんといえば, ファシグラ!

教師が変わる!授業が変わる!「ファシリテーション・グラフィック」入門

教師が変わる!授業が変わる!「ファシリテーション・グラフィック」入門

 
THE 見える化 (「THE 教師力」シリーズ)

THE 見える化 (「THE 教師力」シリーズ)

 

 

「対話的な学び」を考えていく上でも,思考を見える化するファシグラは有効なスキルになると考えています。改めてファシグラについて学んでいきます。

 

もちろん「ファシグラ」を知らないという方も参加できます。

定員は12名と,少人数でとことん学ぶ会にしました。
kokucheese.com

こくちーずから申し込み可能です。

 

久しぶりの場づくりです。

 

 

獲得型教育研究会夏のセミナー2019

 昨年に引き続き,獲得研の夏のセミナーに参加しました。

keynote.hatenablog.jp

 3回目?4回目? だんだんと過去の記憶があいまいになってきました。笑

 

学習者の「もっと書いていいですか」

オープニングは定番「あっちこっち」,渡辺淳先生の基調提案,そして小宅峻太さんの実践報告がありました。

実践報告は写真が多用されていて,学習者の成果物や学習過程が示されているものでした。最も印象に残ったのは,マインドマップの活用事例です。学習者が予習で調べてきたことを黒板に書き込む姿が画像で示されました。参与型の板書事例はよく見ますが,注目すべきは学習者の反応です。報告によれば学習者の「もっと書いていいですか」という反応があったそうで,アクティビティ中の反応をどれだけ拾って活動を分析しているかに気づかされます。先生の見取りがすてきでした。

ちなみに,この後のワークショップでも,高尾隆さんが参加者の何を見ているかを話している時に話題になりました。

 

役に仮託するからこそできる表現

 午前のワークショップは高尾隆さんの「教育プレゼンテーションはじめの一歩」。

教室はスクール形式で座学できる場と,アクティビティができるフリースペースと両方が1室になる会議室だったこともあり,落ち着いて話を聞く時間とわいわいやってみる時間が交互に構成される流れになりました。

 

ワークショップ後半はコア・アクティビティを「ごんぎつね」で体験する内容でした。

学びを変えるドラマの手法

学びを変えるドラマの手法

 

ストーリーを追いたい私は,テキストがないとぼやっとしてしまうので不適応をおこしていました。ごんや兵十が出てくるのですが,どの瞬間のごんなのか,時間軸がはっきりしていないと不安になります。しかし,フリーズフレームで村の一部になったりするのは,物語を自分の中で立ち上がらせることにもなり興味深い体験となりました。

 

もっとも刺さる場面になったのは,自分の座席に戻ってから高尾さんが自分を語ることの難しさを話し始めた時です。

自分とは何かを考え始めたばかりの時期に,自分の好きなものや興味のあるものを題材に表現するのは酷であるという話でした。大人は乗り越えてしまったから簡単に思えますが,自分が醜く思えたり自信がなかったりする時期に,自分と向き合うのは確かにしんどいかもしれません。

 

この話,実は高尾さんから聞くのは初めてではなかったのですが,いざ自分が中学生に何を求めていたのかを重ねてみると,ぞわっとしました。

実際に学習活動で自分の好きな物を題材にして書くことを,学習意欲の喚起だと信じて活動を設定していた場面があったわけです。

ぼくのニセモノをつくるには
 

もちろん「自分で決める」を大切にすることを決意した瞬間に自分という存在と向き合わざるをえないし,自分を表現できる力も必要な力で,いつかは乗り越える必要があるのだと思います。

だけど,実際に自分自身が学習の障壁になる場面は確かにあります。その時にフィクションの力を学びに活かす視点があるのとないのとでは,全然違ってくるのですね。自分の課題設定が真面目過ぎるというか,直接的すぎるというか・・・もっと比喩的に物事を捉えたいなと思った瞬間でした。

 

その他に,おもしろかったのは「パックマン」!(名前だけ聞いてもわからないゲームです)。ポイントは「競争」でした。競争をあおる系のゲームは,たしかに思春期の学習者にも受けが良く,余計な検閲を待たずにからだを動かすことになって一気に場が温まります。国語の授業で辞書引きゲームに熱中する中学生を思い出しました。

 

高尾さんのワークショップはいつも,インプロの活動になじめない参加者にも視線が注がれています。

 

自分の文脈に落とし込む

午後のワークショップは渡辺貴裕さんの「授業に活かすドラマ技法」でした。

『魔法使いのチョコレート・ケーキ』をドラマの手法で読むプログラムです。 

魔法使いのチョコレート・ケーキ―マーガレット・マーヒーお話集 (福音館文庫 物語)

魔法使いのチョコレート・ケーキ―マーガレット・マーヒーお話集 (福音館文庫 物語)

 

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 渡辺さんのワークショップに参加するのは2回目,だと思います。

keynote.hatenablog.jp
keynote.hatenablog.jp

 

善悪の回廊とか,ホットシーティングとか,それぞれの手法は体験したことがあったけれども,それらを「授業に活かす」視点をどう持つのかが今回の問題意識でした。

授業づくりの考え方 ―小学校の模擬授業とリフレクションで学ぶ

授業づくりの考え方 ―小学校の模擬授業とリフレクションで学ぶ

 

午前中に起こったことのリフレクションを例にして,そのリフレクションのあり方自体を自分の文脈の中でどう落とし込むのかが問われます。

 

今,自分が思っているのは,拒否感情とどう向き合うか,でした。

自分はこうして何度も体験してもいいと思えるくらい楽しい実感があるけれど,最初からいきなりなんでもできるわけでもないことを忘れちゃいけない。

「やりたくない」と思う自分もちゃんと大切にすることで,初めて自分の手に取れる形が見えてくるのだと思います。

自分の経験だけで語れない。

初任者研修でお話を聞いて、助言、という仕事をしてきた。10人ほどのグループの中で話したことは5つ。

 

1.やれることとやれないことがある。

2.職員室の真ん中で困っていると叫ぶ。

3.足を引っ張り合わない。

4.サブカルを学ぶ。

5.登山ルートが違う。それぞれにストーリーがある。

 

お話を聞いてみると、指導するかしないかのボーダーラインのことや、理想の教育像の違いなど、同僚の先生たちとの微妙なズレが浮き彫りになった。

慣れてしまって違和感を感じないこともどんどん言語化されていくので、私の方が問題に向き合う場になった。

 

参加しながら、初任時に授業を定点観測してもらったことを思い出した。初任者指導の先生がいて、毎回1、2枚のレポートとして紙にしてくださったのだ。そのおかげで、自分の課題を時々思い出しては立ちどまることができた。

 

しかし、自分が初任者だった時と今の先生たちの話には違う文脈がある。自分の経験だけで語れない。私ができることは、できるだけ一人一人のストーリーに潜り込んで、同じ目線で見つめる努力をすることだなと思った。

 

ひとつ気になったのは振り返りシートを紙ベースにすること。

大人なんだからデジタル共有できるといいのにな。

 

教育分野におけるeポートフォリオ (教育工学選書 II)

教育分野におけるeポートフォリオ (教育工学選書 II)

 

 

 

授業感想文から再出発―7月の振り返り

テスト後は,3カ月の授業の振り返るための学習記録づくりと,説明文「月の起源を探る」を使った説明文を書く単元だった。

学習記録づくり

本来であれば学習記録の完成モデルを示したり,目次をつくったりする時間を設定するのだけれど,今回は目次も作成せずプリント類を整理して表紙と奥付だけをつける形となった。あとがきも,最終的な文集型の学習記録になる前に授業作文を書くだけに留める。3年間の途中で新しいことを始めることの難しさを感じた。

当たり前な話だが,3年間で持ち上がっていた頃の3年生は,2年間の積み重ねがあった。だから学習記録をつくる学び方に習熟していたのだなと思う。

ただ,そんな中でできたものを見ていくと,やはり発見も多い。奥付はちゃんと作成したのは今回が初めてだが,定価を定めるときの子どもたちの判断の仕方はさまざまな様相が見られておもしろかった。

また,束ねられたプリント類にひもを通すための穴をあける作業も,今回はちょっと感動的だった。初回だということもあって,穴をあける場所の間違いがないように私が全員分の穴あけ作業をした。その時に,「自分でやっていいですか」と言ってきた学習者がいた。約1センチほどの紙の束に穴をあける作業がおもしろいのだと思う。そして,そのプリント類は全部自分のものだ。自分の本を作る作業だと思うと,誇らしい。

説明の技をプレゼンし,説明文を書く

前単元では,個人で描写を読み解く活動が主だった。今回は班での協同学習になる。

あとの授業感想文でも取り上げられていたが,活動に対する意欲の差が問題になる班が見られた。やっぱり互恵的関係の話をちゃんとしようと思うし,課題設定を学習者自身の問題ともう少し密接な部分に設定したいとも思う。

また,全体共有の場面で解説に困難が生じた時に,教師のフォローが必要になる場面も多かった。お互いの聞く必然性を作るために,班ごとに担当箇所を割り振ったわけだが,その発表の全体像を可視化してまとめる役割を私自身が果たせなかったことが悔やまれる。その問題点は,教科通信を発行することで補ったつもりだが,タイムラグができてしまった。タイミングって重要だ。

授業感想文を通した学習者との授業観討議

7月は夏休みに入る前ということもあり,40時間弱の授業を振り返って授業感想文も記述してもらう。いつも通り,100点満点の日はないんだ,という前提をおいて。

書く力のある学習者に恵まれて,授業について考える視点をたくさんもらう。次の選択ために私が考えなければならないことは,学習者の学びやすさだ。

テストで点数が取れるということも,中学生にとって必要なことなのである。活動の価値をいくら解いたところで,テストで点数が取れない自分は,やっぱり誇らしくない。

藤倉稔さんとお話をする。

1学期の実践の振り返りや授業づくりネットワーク下川集会の振り返りも兼ねて、藤倉さんとお話をする。

www.kokuchpro.com

話していくうちに,話題は私が大学院で何を学んだのか,誰と会ってどんな話をしたかと広がっていく。

もっとさかのぼってこの10年間で何を学んできたのか,大学ではどんな学びをしていたのかなど,ライフヒストリーの話にまでつながっていく。

過去をぼそぼそしゃべりながら,私にとって今・これからを見つめる時間となる。

 

「普通に授業をしてほしい」

1学期の授業を振り返ってみて,私の最も課題だと感じることは,教師と学習者の価値の共有だった。つまり,教師にとって良かれと思う方法の選択が,必ずしも学習者にとっての最良の選択ではないということだ。

授業者は学習者に対して,楽しく学んでほしい,わかるようになってほしいと願う。だから,そうではない場面に直面した時に,もっと違う方法はないかと考える。「あの子」のためにできることを考え始める。

しかし,教室では同時に「別のあの子」の学習も並行して進んでいく。授業者の見えていないところで,授業者の認識していない学習の事実が繰り広げられている。

だから「別のあの子」にとって,「もっと違う方法」は有効ではなかったりもする。「え,なんで?」といった混乱が生じ始める。かつてはうまくいっていた自分の学習が,よくわからないまま進められる学習に変化する。その時に学習者が願うことは,「普通に授業をしてほしい」だ。

授業者の感情としては,不安が大きくなる。課題を見つけて行動してみたにも関わらず,何だか別の課題が増えるばかりで上手くいっていない状況にめまいがするようだ。なぜ,自分は自分の願いを手放せないんだろうか。

 

経験から生じる学び方への信頼

もう一つ,大学での学びがその後の学び方への信頼につながることも思い知る。

大学での学びの話になった時に,藤倉さんと私の違いが浮き彫りになった。教育大でのゼミ,タテのつながりの話になる藤倉さんに対して,単独ゼミ(もはやゼミと言えない)所属だった私は,教授とのつながりが思い浮かぶ。正直,大学院に行くまで研究室同期がいる状況ってよくわからなかった。ゼミでの学びを経験する中で「ああ,こんな感じなのか」と初めて見えることがたくさんある。

そもそも,国文学研究室で同学年の所属がいなかった私は,教授と1対1で質問し続けるみたいな学びが深い学びだった。図書館で文献を読み,読んだことを教授を相手にアウトプットし,課題や見えていなかったことをフィードバックしてもらう。この後の方向性やヒントをもらって,また図書館に戻る。自分の見えていないことが見えている存在が近くにいることが重要で,その人に直接問うことが価値ある学びだと思っている節がある。一方で,私の学びは私に閉じている。だれかのためにと考える瞬間に,だれかが見えないこともある。

学び方の実感は時間がかかるものだ。大学を卒業しても10年は学生と同じですよと言われた大村はま先生は,何を大切にして若い頃を過ごしていたのだろう。

価値ある深い学びってなんだろうなと考えるときの自分が持っているイメージは,かなり偏っているものなんだと気づく。

 

足元をつぶさに見ること

視野が広がっていく過程では,学んできたことが自分以外のだれかに伝わらない場面に直面する。

そのたびに足元に戻らなきゃいけない。細部から目をそらさないこと。大きな方法論に問題があるというよりは,ちょっとした言葉の足りなさに問題があったりもするわけで,簡単に「次はこうしよう」と結論付けないことが必要なのかもしれない。

授業づくりネットワークNo.33―あなたの授業を変える12のポイント (授業づくりネットワーク No. 33)

授業づくりネットワークNo.33―あなたの授業を変える12のポイント (授業づくりネットワーク No. 33)

 

今井むつみさんの言葉。「いつも見ているはずのものでも,つぶさには見ていない」