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放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

リフレクションの強度

授業記録を通して思うのは、目標や達成する観点が明確であるほど、リフレクションは自然と促されるのではないか、ということです。

 

例えば、今日は意見文を書こう、という課題を設定したとしましょう。

 例1)その意見文は誰に対してどう働きかける意見文なのか、

 例2)社会でどのように生きて働く力となりうるのか、

 例3)伝える手段として適切なことばや構成を効果的に用いているのか、

 ……

などとと意見文の具体像を考えていきます。

なぜ意見文を書くことが必要なのか、

子どもたちのこれからさしあたって必要になる場面はどんな時か、

突き詰めて考えてみるのです。

 

「突き詰める」とは、「なぜ」「何を」という問いを8回くらい繰り返して深堀してみることを示します。

(8回に根拠がないのですが、この間教授と問答を繰り返して考えが深まった実感のある回数なので……)

 

その土台の上に、実際の授業を構想していきます。

ちょっと伝わらないかもしれないが、このような練に練った構想が単元学習を支えていくのではないかと思っているのです。

そういう学習というのは、学習過程でも、意見文を書きあがった段階でも、

こういう力をつけてほしいな、という姿が見えているわけで、

それを子どもたちにも最初に伝えていれば、

終わったときに成果が出ているのか、出ていないのか

おのずと完成した意見文発表の時には子どもたちの中でもリフレクションが行われるのではないかと思います。

 

ただ、人数が多いとか、時間が足りないとか、

そういう理由で書かせるだけになていると、

それは振り返ったり、自己評価したり、内省したりする時間が持てず、

次の活動に活かせない、という結果をもたらすのではないでしょうか。

 

それから、「相対化」「メタ認知」というのもキーワードだと思っています。

具体的に、自分の成果はこれまでの自分と比べてどの程度の力を発揮したと言えるのか、それを言語化する学習記録は価値あるものになるのではないでしょうか。

 

最近は学びの連続性ということも考えています。

PDCAサイクル、リフレクションモデル、など、

ある一定の再評価をした後は、また次の行動に移るものです。

その次のステージに立った時に、前回のリフレクションが生かされるためにも、

具体的な目指す場所と、自分が実際に学びによって立った場所と

どの程度差があるのかということを、学習者自身で気づくことができたら、

深いリフレクションと言えるのではないか、と思っています。

 

今日の書いたことは、すべて思い付きです。

あしからず。