今日は朝から学習記録に関する資料の整理と、
これまでにまとめた断片的なメモを整理する。
何月何日にどういう学習をして、
どういうことに困って、
どういう対応をしたのか、
たくさんのメモがある。
生徒の反応もある。
研究したいことがたくさんある。
今日は朝から学習記録に関する資料の整理と、
これまでにまとめた断片的なメモを整理する。
何月何日にどういう学習をして、
どういうことに困って、
どういう対応をしたのか、
たくさんのメモがある。
生徒の反応もある。
研究したいことがたくさんある。
協同で授業案づくりをしています。
その中で、岸田衿子さんの『ソナチネの木』を教材化する授業が注目です。
テキストだけではなく、文字と絵が融合して視覚的な読みを促すしくみになっているところがおもしろいです。
国語の授業に親しんでいる方は、「純銀もざいく」なんかがイメージしやすいでしょうか。「いちめんのなのはな」が菜の花畑を表すかのように繰り返し用いられています。
他にどんなものがあるのか気になって、昨夜大雨警報の中、
旧図書館情報大学の附属図書館に行って絵本探しをしてきました。
ここは中央図書館に比べて児童図書が充実しています。
この本はところどころにテキストがL字型に配列されています。
絵との関連性が気になる絵本です。
もじたちが葉っぱの上でくらしているという設定です。
絵の中にもじやことばがあって、本文との関連がおもしろい1冊です。
その他にも、文字が入っていない、絵や写真だけの絵本も数冊借りてきて、
それぞれの絵本でどんな授業ができるか作ってみる、というようなことをやっています。
この授業の裏側では「見る力をつける」がテーマになっています。
読むことの中で比喩的に「見る」を使ってきていますが、
さて、どんな授業ができるのか楽しみです。
よくわからないことや、考えても考えてもアイディアが浮かばないことは
まずやってみることが大切だと私は思っています。
と、簡単に言っても、なかなか挑戦する気概が揃わないことも多いですが…。
その上でなぜ大切かというと、
やってみると、欠陥や失敗に気づくことができるからです。
例えば授業づくりにおいて考えてみます。
もう何年も前から気づいていることなのですが、
私には、上手い授業や完成された授業を目指す傾向があります。
でも、複数の模擬授業体験を通して、いろいろダメだしをもらいながら
「もっとこうすればいいのかな」と新しい発想を得ることを知りました。
そういう体験を持っていると、
自分でやって、自分で「ああ、ここはもっとこうしたほうがいいかも」
という見方で作り変えることが起こっていきます。
だから、まだ完成してないよー、と思っても、
挑戦してみることが大切だと思うのです。
関連して。
高橋源一郎さんがラジオで話題にしていた本です。
「読みたい」本棚に入れます。
女子高生アイドルは、なぜ東大生に知力で勝てたのか? (講談社現代新書)
即興型学習会合宿ワークショップin大阪、2日間楽しんできました。
特に、プログラム開発を通して「グループ分け」について
運営側と参加者が徹底的に考えた2日間だったと思います。
この回の狙いは、それぞれの現場におけるプログラム開発でした。
そのためには、それぞれの現場においてどういうことに挑戦したいか、
そのことを共有する必要があります。
そして、その時に「私は~したいです」だけでは足りないと思いました。
具体的な瞬間をエピソードで語ることが必要だと思いました。
私のグループでは「心の解放」がキーワードでした。
「周りの目や失敗を気にして自己規制をかけすぎると、本来の心と向き合えないから、自分が持っている表現力を表に出すために心の解放が必要だ」
グループでそのような話が出てきました。
そして「心の解放」が起こったエピソードを共有し合い、
そのためにはどんな日々の取り組みができるか
これまでのそれぞれの経験からアイディアを出してみました。
それぞれに持っている経験を活かしてさまざまなアイディアが出されました。
それらを実際に体験しながら、うまくいった感じを確かめたり、
うまくいかなかったところを話し合ったりしました。
「最初からうまくいかなくてもいいから、まずはやってみよう」と思って、
何度もやっては考え、やっては考え、を繰り返します。
その繰り返しの中で自分たちの思考が揺れ動いていくのがわかります。
それから、グループで共有していると思われるものに差異があることにも気づきます。
やってみて、感じて、言語化して、
またやってみて、感じて、言語化して…
こういう繰り返しです。
グループづくりを含め2日目はほとんどこのプログラムに時間を費やしました。
さて、それは自分でも思った以上に楽しかった瞬間がいくつもありました。
心がひらいて、自然に笑っていたり、悩んでいたりするのです。
しかし、実は私にとって最も印象に残っている瞬間は、
グループ分けに入る前のアクティビティでした。
それは、大縄まわしを演じている人の縄の中に、自分が飛び込んで跳ぶことでした。
勢いで入った私は、おそらく本当の縄があったら足をひっかけている感じで飛び込みました。ただし、エア縄跳びなので、本当にひっかかったかはわかりません。(笑)
その後で次々と参加者のみなさんが縄に飛び込んでいきました。
それを見ながら、リアル大縄跳びの体験を思い出すのです。
ふと、「これまでの自分は飛び込むことから逃げてきたな」と思いました。
ここには、一緒に遊んでいる友達の楽しんでいる場を壊したくない、
自分がその流れをとめたくない、
そういう規制が自分に働いていたのだと思います。
そのことを思い出した瞬間に、
私は「飛び込まない」と決めていた自分に気が付きました。
「できる/できない」「成功/失敗」この対立がはっきりしている時、
「できない」「失敗」に焦点が向くと、行動を回避する方向に動いていきます。
エア縄跳びをしながら、単純に、挑戦してない自分を実感しました。
そして、エア縄跳びは比喩であり、日常のさまざまなことがこの実感に結びつくなとも感じました。
昨日のこの経験を通して、「本当は何かに挑戦したいけれども、周りを気にして挑戦していない自分」を自覚することに至ります。
そして、同時にフィクションであっても、自分の経験を引きだすことになり、
何らかの実感を伴った振り返りを促すのだなと思うのでした。
即興で何かを考える。
感想でしかないですけれど、
揺さぶりの中にいた自分を正直に書き留めておきます。
即興型学習研究会合宿ワークショップに参加しています。
1日目にあったことを忘れないうちに書き留めておこうと思います。
・それぞれの読みを動作化することで、違いを共有したり、「こんなふうにも読めるんじゃないか」と新たな思考を促したりすることがある。
(ただし、何回かトライできる環境設定と、関係性が大切。動作が示されている動作化しやすいテキストだととてもおもしろい?)
・場の温度、息遣い、身体の向きや動き…変化はいたるところにある。見る、感じる、とらえる。
・グループ作りを場に任せたら、切実なエピソードやチャレンジしたいことが明確な人が中心になっていった。一方で、中心メンバーに寄り添った人の問題意識は一旦放棄しなければならないことが起こった。
・グループワークの時に、自分の考えの表明の程度が適切だったか内省が起こった。
・いいも悪いも表裏一体。「間違っても大丈夫!」の場では、好評価を言葉にし過ぎると反対への意識が強化される。
・いいも悪いも表裏一体。物語創作でもその仕組みを活用できそう。ただし、表裏の展開は何らかの質がありそうだ。
・演じることは文字に表れていないことを、無限に想像させる。たとえ、テキストから離れた表現があっても、場が終わったところで修正をすればいい。むしろ、テキストを読み直すきっかけになる。記憶にも残る。
関ジャニ∞話で一部の人と盛り上がる。
15日の札幌ドームコンサートには母が初参戦することになり、15年前から続くジャニーズ話は途切れることがなくなった。
先日アルバムが発売された。もう著名なアーティストから楽曲提供されるのは、当たり前な感じ。
https://dot.asahi.com/billboardnews/2017062900087.html
特典映像を友だちと見た。
見ていて気になるのは、「わちゃわちゃしてんなー」という言葉だ。
とにかくドッキリとか、ハプニングとか、そういうことがよく起こる。それにリアクションする姿がおもしろくあり、関西ノリのボケとツッコミもあり、型通りに収まらずに自由に行動する姿も見られる。予想外なことを楽しむ空気がある。
そしてその自由さを、「〜らしいね」と評価し合うのだ。
このわちゃわちゃした感じは一体なんなのだろう。そして、その姿を見て楽しんでいるのはなぜだろう。
来週からCモジュールが始まります。
筑波大学の春学期は8月第一週までです。
私の7月前半の課題は、
①学習記録の分析と言語化
②「授業システムと授業行為」に関する研究のインプット
です。
読もうと思っている本が積読になっています。