放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

大学院研修

8月の大学院授業。

一昨日は修士2年生の模擬授業に生徒役で参加。 やってみることで見えることがある。 パフォーマンスしようとする過程で自分の中から考えが浮かんでくる。 その過程にどれだけ目を向けられるだろうか。 感情にからめとられて何も見えなくなっていやしないだ…

量的分析による可視化から質的分析へ。

7月最終日は、これまでの調査のまとめ。 データはただ眺めていてもダメで、数値化、コード化、クロス集計、さまざまに分析する中で焦点化されていく。 最初に気付かなかった違和感が急に浮上して思わぬ発見をもたらしたりする。 自分について多分に気づかさ…

個人思考の時間。

昨日読んだ生徒の学習記録あとがきに、 「みんながバラバラの作文を書いていた」 「自分とは思ってることが全く違うことが実感させられた」 と書かれていた。 個人思考から全体共有をした時に、どのくらいの学びが学習者にもたらされるのかが気になっている…

「おもしろい場面が全然わからない」から、授業を修正する。

中学3年生「故郷」の授業で、「作品の魅力を語ろう」という課題を設定した。 この課題の前提条件として必要なのは、「故郷」に魅力を感じられるかだ。授業前にも想定していたのだが、やはり学習記録には「おもしろい場面が全然わからない」という記述がある…

授業進行時には見えない生徒の記述。

教師は生徒の記述の何を読んでいるのだろうか。 今日、3年生「故郷」の単元ごとの学習記録の記述を読む。この単元では初読のあと、「故郷」の魅力があるとしたらどこにあるのか説明する学習に取り組んだ。生徒は「登場人物」や「ストーリー展開」「表現」「…

書かれない記述との対面。

学習記録を読み直していて思うのは、空欄の日の授業のことである。 何も書かれていないこのページの日、子どもたちは何をしていたのだろうか。 単元のうち、学習者の気づきが多くある時間とそうではない時間がある。単元の導入期はこれから何をするかを知る…

書くことで伝えたい、書くことで伝えてほしい。

私は書いてあることへの信頼が強いのだなと思う。 信頼というか、やむを得ず書くという手段を取る、と言ってもいいのかもしれない。 例えば、ある人から相談を受けて、話を聞いているその時にはただ話を聞いて時々に思ったことを返す。自分の感想からちょっ…

「役立つか立たぬかって、つきつめないで書いたほうがいい」

『大村はま国語教室』第十二巻「学習記録あとがき集によって学ぶ」には、さまざまに学習記録作成の意義を言葉を尽くして書きながらも、とにかくまめに書くことも伝えている。 その一つのエピソードに江戸時代の農民によって書かれた記録がある。 大村はま国…

研究の軸が持てない。

研究の軸が持てない。 これってつまり、自分を見失いがちってこと。 修士論文にまつわる研究をしていながら、自分のふがいなさを思うのは、テーマが一貫していないことだ。一念発起して大学院に来たっていうのに、ブレブレの自分を思い知っては恥ずかしい気…

国立国語研究所、国文学資料館に行く。

論文収集のために東京立川にある国文学資料館へ向かう。 思ったよりも敷居が低いというか、手続きに困ることなく文献の複写ができた。 館内は静かで涼しい。文献がどれも丁寧に保管されている。 利用者がどのような本を手に取っているのかとても気になった。

条件設定をどこまで教師が設定するか。

今日は授業参観がメイン。 子どもたちの姿を直接目にすることが、自分をどれだけ思考の場に立たせてくれるのかを実感する。私は、教室で考える人なんだなと思う。 今日の授業では、創作活動において条件設定のあり方をどのように持つかということを考える。…

イラストで振り返る学習記録の第1印象

今までに書いたものを整理していたら、ノートの端に学習記録に出会った時のことが書かれていた。 初めて学習記録を手にした時 初めて学習記録を作ってみた時 初めて学習記録が完成した時 学習記録作成過程を思い浮かべると、この3つのシーンが思い出される。

タスク処理的に言葉をかわす。

聞かれたことに返事をする。 言葉のやりとりの主体を自分に持たない。 相手に合わせて、ただ答えているだけ。 問われることがなければ、自分からは何も発しない。質問もない。 そんな場面が多い気がする。

論理的思考力とやらを疑う。

大学院にきて、「一度学べばそれで終わり」ということはないよなと、つくづく思う。 論理トレーニングもその一つだ。大学生になる前は関心が高くていろいろな本を読んだはずなのに、気付くと教員になってからは教材文を読むことが多くなっている。 論述の場…

ラベルのための語彙の検討

今日の授業は2コマ、言語学と文学理論。 研究は昨日に引き続きカテゴリー化の作業。5回目。 何度も検討を重ねながら、語彙の修正をする。 事実、意見、感想、分析……どの語彙でラベルをつけるのか迷いに迷う。 それぞれの記述がどのレベルのことを表してい…

意見交流が書くエネルギーを生む

今日は授業1コマと学習記録の記述分析。 授業は、コンテンツのお話。教科書の定番教材について考える1時間。 記述分析は、作成した表からカテゴリーを抽出し、ひたすら分類する作業。文学的文章の授業では、学習課題に対する自己評価よりも、作品に由来す…

説明すること

昨日はゼミの日。2つの研究発表を聞く。 実践のもととなる提案と、実際の言語活動の関係性をいかにズレがなく説明するかを学ぶ。目的と行為が乖離しないように、と思う。 もう一つ、ものすごく基本的なことだけれど、自分がわかっていることをどう説明するか…

油絵講座から学んだこと

1 油絵の基本用語 油絵の用具についてバリエーションがあることを学んだ。溶き油ひとつについても、揮発性の高いものやつやが出るものなど、道具に依拠して表現が生まれることを知った。 2 すぐに乾かない、油絵の特性 人の肌を表現するのにグラデーション…

焦燥の6月。

この1か月の調査研究の対象は、2015年度2年生『走れメロス』と2016年度3年生『故郷』の学習記録だった。 『走れメロス』は描写を分析して発表する授業、『故郷』は読みの観点を定めて作品の魅力を発表する授業である。どちらも参考とする先行実践…

梅雨が明けました。

梅雨明けの関東は連日の30度越えで、少々体調は下降気味。 今週は「学習記録の目的をどこに設定しているか」という問いを中心に、過去の実践、資料のまとめをする。 授業は3つ。レビュー論文の読み方書き方の授業と、言語学の授業、文学理論の授業。

研究室の冷房が稼働した日

今日は学習記録の導入期の指導でどのように教師が説明をしているかのまとめをする。 資料も山のようなので、後半は資料整理の時間になる。 教員採用試験が近いこともあり、休憩がてら院生に交じって教職教養の復習をする。 正解がある問題は楽しいなぁ、と思…

6月22日の大学院授業

今日参加した授業は言語学の授業と文学理論の授業、2コマ。 文学理論の授業は、さまざまな学びや体験を想起させるものでおもしろかった。自分の8年間の授業づくりに関わって基本としてきたことを考え直す契機になっている。特に、1時間での学びを記録して…

更新すること

自分の学習記録の物足りなさは、書くことへの信頼の欠如かな、と思う。それは、ことばへの信頼の欠如とも言え、嬉しくもあり悲しくもある。更新するには、捨てなければならないものがある。できるだけ抱えて歩きたいと思っても、そんなに技量がないこともわ…

日常の中にある教育実習と教員採用試験

自分にとって過ぎ去ってしまった経験が、毎日顔を合わせる院生にとっては切実な日常だったりします。 5月、6月、と夏が近づいてくるにつれ、修士2年生は修士論文の本番に足を踏み入れるような発表の場があり、それと同時に就職のことも考えねばならず、行…

学会発表が終わりました。

パフォーマンスとしては課題だらけですが、発表する機会をもらえたのは本当に有難いことでした。新たに勉強したいことも見えてきて、学びの発展を感じました。

行き詰まり。

結局 今日もわからないまま 夜を迎える。 明日は修士論文の構想発表会。

記録と評価の関係は?

自分のルールとして、記録を書く際に字数の指定を設けていない。そのため、1行で終わってしまう日もあれば、空白の日もたくさんある。 そのような習慣の欠点は、あとで見返した時に「この日は何をして何を考えていたのだろう」と思う日が多々あることだ。意…

<わたし>の学び方

一人一人の学び方は多様であるという視点に立てば、学習記録が寄与するのはそのプロセスの違いを可視化する点にある。 今日は3年生「故郷」全時間の学習記録の記述、作文を抽出する調査を行う。分析の観点に基づいて、「故郷」の魅力は何か説明する授業であ…

自分の学びに何が必要か

修士論文の構想発表会に向けて資料をまとめ始める。 この1週間は問いを立てることに時間を使ったので、これまでに何度も行き来してきた疑問に焦点を当てることができてきたのではないかと思っている。 特に「自分にとって学びって何だろう」という問いについ…

振り返り記述の発達段階と学習経験への問い

小学校のノート指導実践を見ていると、視写する力を育てる実践提案が見られる。黒板を見て正しくできるだけすばやく書く動作は授業記録の基礎として位置づけられる。 ノート指導の要素として他に、発想を広げること、定着のために練習すること、自分の考えを…