昨日まででした。
開催が終わったら少し書こうかなと思っていました。
何度も言いますが、私はミーハーなので、草間弥生に対して特別な感情も知識もありません。
この時代に生まれて、これだけの注目を集める人とはどのような人なのか、
そして人はそれになぜ注目するのか、ただそういうことが気になるのです。
さて、行ってみてよかったことです。
- 学割が使える。 学生証を見せると1000円になりました。学生よ!今すぐ、美術館へ足を運べ!と言いたくなります。
- かの有名なかぼちゃが思う存分見られる。 草間弥生といえば、「水玉模様のかぼちゃ」というイメージなのですが、どれくらいの人が共有しているのでしょうか。そのかぼちゃ、外に展示してあって写真撮り放題でした。その光景が展示の中からも見られるのは、ちょっと面白いです。ちなみに展示室内も多くの場所が撮影OKで、スマホのカシャカシャする音が響いてました。みんなインスタにあげるのでしょうね。私はロッカーに預けてしまい、撮れませんでした。
- 水玉模様がこわくなる。 水玉模様の原点は草間自身の幻覚からくるものだそうです。一見ポップな水玉模様の中に、ある瞬間から恐怖を覚えます。連続するもの、それが自分をも吸収してしまうもののように感じさせる狂気の表現は、やはり他の人には作り出せない作品なのでしょう。
- インスタレーションやハプニングを知る。 「前衛的」とも表現されていました。空間を使った表現だったり、草間自身がパフォーマンスをしたりする様子が写真や映像で残っています。今ではよく見る表現方法ですが、これを60年代ー70年代に精力的に行っていたことを思うと…別な時代を生きていた人のように思えてきます。暗闇の狭い部屋の中で光を使ったインスタレーションが最も印象に残り、美しかったです。『生命の輝きに満ちて』という名前でした。
ここからさらに個人的な感想になりますが、私は水玉が苦手です。
ある日、家族が結婚式の引き出物でひまわりの食器をもらってきたのですが、
その真ん中部分がつぶつぶした突起物になっていて気持ち悪さを覚えたのでした。
思えば、日光湿疹によくなっていた私は、規則的に点在するものが
自分の内部まで及んでしまうことがこわかったのです。
今では湿疹も落ち着いて、ほとんど出てくることはないですし、
モノと自分を同一視することもないのですが、
草間作品はその時の感覚を引き出してきます。
一方で、水玉のワンピースなんかをかわいいと思う自分もいて、
気づくと、すっかり水玉模様の魅力に引き込まれているのでした。
芸術は「よくわからない」と言いがちですが、
作品を見ながら思い出したことや感じたことを語り合う、
ギャラリートークと言っていいのかな、
そういうのは、私、好きです。
何かを通して自分を見つけるプロセスが面白いのだと思います。
特に、自分と向き合うことから逃げたくなるって人、いませんか。
自分の価値観を探す過程は自分にとって必要なことなのではないかと思います。