2009年に中学校の教員となった。
大学の国語科教育学の授業では,もれなくPISAショックの話題が上がる。
私の国語科教育の学習はPISAショックで揺れる学力論から始まっている。
教授の考え方の影響もあって,道徳的に読むことへの批判,「論理的」「科学的」に読むことの重要性を信じていた。
フィンランドの教育に関する書籍もよく読んだし,国際課程だったこともあり,パラグラフリーデイングの授業方法にも影響を受けた。
今,振り返ってみると,明らかに,それ以前の国語教育史というものが抜け落ちいていることがわかる。知らないって本当に恐ろしい。
外から入ってきた学力指標が,これまでの教育を否定したわけだが,では,これまでの教育は本当に間違っていたのだろうか。
日本の教育で培ってきた学力は何だったのか。
これまでの歴史的に形成してきた文化や生活様式,そこから生まれる思考のあり方はその国々で異なるものだ。
どれだけ私たちが諸外国の先端と思われる教育方法に学んだとしても,味噌汁・ご飯の食事が一番落ち着くように,私たちの地に足のついた学びを作り出すことが重要なのではないか。
かといって,多くの人が「うーん」と思い続けていた授業が再生産されることにも私たちは心底うんざりしている。
今,私たちが立っている場所から地続きで繋がっているこれまでの教育と,その結果生み出されてきた「学力」を見つめ直した時,この先の道筋も見えてくるのではないだろうか。