放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

修学旅行のバスガイドさんに名前を呼んでもらう。

2016年3年生の修学旅行のしおりを読み直した。

初めて学年の修学旅行を取り仕切ったので、事前・事中・事後のメモがぎっしり。

 

正直、プレッシャーが強すぎて、当日のハプニングに動揺し、柔軟に対応しきれなかった反省もあった。しかし、一つのチームとしてのミッション達成に向けて、それぞれに奮闘している姿がメモから見える。

二泊三日の日程で、最もうれしかったことは、バスガイドさんにクラスの一人一人の名前を読んでもらえたことだ。これは、同行していた校長先生がアドバイスしてくださり修学旅行2日目に生まれたアイディアだった。気付いたことをしおりの用紙にメモして渡してくださり、記録としてそのやり取りもしおりに残されていた。

インプロワークショップでも、チェックインでネームコールをするだけで、一人一人の場への入り方が違うよなと感じる。バスガイドさんとの出会いも同じで、初めての時間を共有する入り口に、名前を読んでもらえるだけで一人一人の話の聞き方は変わるな思った。

しおりには、その時にバスガイドさんにあげた、座席表と、名前、ひと言自己紹介が書かれているメモがはさまれていた。”まずは自分たちを知ってもらうところから”。外部の方たちとの出会いの場で大切にしたいことだ。

プレゼン技術の基礎を学び直す。

口述試験のための資料作成日。改めてプレゼン技術を学び直す。

大学生向けの初年次指導の本はたくさんあって,情報は得られやすいなと思う。

 

「14歳からの~」というだけあって読みやすい。

ビジュアル面も考慮されているのがいい。

学びの技 (YOUNG ADULT ACADEMIC SERIES)

学びの技 (YOUNG ADULT ACADEMIC SERIES)

 

 

具体例とまとめ,参考文献等がわかりやすい。

大学生のためのリサーチリテラシー入門: 研究のための8つの力

大学生のためのリサーチリテラシー入門: 研究のための8つの力

 

 

ただ、プレゼンって情報だけあってもうまくできるわけじゃなくって、リハーサルがかなり重要なんだと思っている。

でも、内容の吟味が決まらないとはじまらないと思い込んでいて、そこに時間をかけすぎてしまうことが問題。

期待と不安が強いんだな。

論文提出が終わり、修士号まであとは口述試験のみとなりました。

締め切りが過ぎると、先のことが見えてくるもので、急に引っ越しのためにあれこれ考えたり、断捨離を始めたりします。変に高揚する気持ちもあって、なんだか不安定です。

考える場面が多かった一年、学校に戻ったら何か違うことが見えるのかもと思う反面、何にも変われないこともあるんだろうなと思います。

相変わらずプライドを捨てきれないところ、

知ったような言葉で終わらせてしまうところ、

薄っぺらなところ、

目的的に行動できないところ……、見直すところはさまざまにあるんだろうなと思います。

 

心の動きは書いていても通り過ぎてしまうことも多くて嫌になるけれど、それでも今あるものなのだから、仕方ないよなとも思います。

自分の研究になる。

論文は終章へ。

これまでの分析のまとめと、そこから見えてきた振り返りを促す学習記録指導をまとめる。

課題は未来の研究につなげられるように書く。多少欲張りなのは私らしくていいことにする。

 

はっきりと、自分は状況や環境に流されながらわがままに作ってきたな、と思う。きっかけは誰かの何かなのに、自分で行動する時には自分の判断が必要になる。自分の研究である。

ぐるっと家をのぞいてみよう。

文章は一方向に読みがちだけど,本当は立体的なんだな。ぐるっと家をのぞいてみるように,いろんな読み方があるんだな。

絵本読み聞かせや紙芝居は最初から読む。1方向のストーリーを読む。冒頭から結末に向けて読むことが,暗黙のうちに沁みついている。いろんな読み方があると知って,一方向の読み方だけに固執しない読みを選択する。それでも,多くの人は最初から最後まで読むってことが当たり前なんじゃないかな(「お話の読み方」っていう授業,やってみたい)。

だけど,書いている人は最初のページから書き始めたとは限らない。実際に書いてみるとわかるけど,試行錯誤の過程で順番は入れ替わり,付け加えられ,削られていく。それが創作のプロセスで,読者は作品を手渡された時にその過程を想像できるかどうかで読みの深さは変わってくるのか?と思う(もちろんそれだけではないけれど)。

こう考えてくると,学びの単線形にも違和感を持つ。先生のお話を「おぉー」「ほうほう」「なるほど」と聞いてなんとなく納得する形をとる。でも,そこにはそぎ落とされていることもいっぱいあるし,今日の話ではくくれない例外も世の中にはいっぱいある。確かに時間は一定方向に流れていくものなのだけれど,学ぶってことは当たり前を疑うってことで,一般化されたものの外側にあることも含めてどうなんだろう?と検討してみることなんじゃないかと私は思う。何度立ち止まって脱線しても,ふりだしに戻っても,先にゴールはどうなっているのか試してみても,ゴール位置を「やっぱりここにしよ」って変えてみても,いいじゃないか。

結局は「問い探し」なのだと。

結局は「問い探し」なのだと。

論文のまとめを書きながら,全体を貫く本当の問いはなんだったのだろうと改めて考えるに至りました。どこか自分には,アウトラインを曖昧にする癖があるみたいで,バシッと5本指でたたきつけるような問い立てができないわけです。問いが浅い。

まとめを書いているとそれは顕著で,いろんな分析が結局はどこにつながっているのかを示さないことには,どれもふわふわ浮かんでいるだけ。それぞれの関係性が見えないところが,もう少しがんばらなきゃいけないところだなと思います。