放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

授業って「協力」そのもの。

授業って「協力」そのものだなって思います。

学習者の協力なしに授業は成立しません。

 

例えば、学習者が何を知っており、何を知らないのか。

学習者の自己開示なしに、何をどう教えるべきか判断できません。

独演会で終わってしまいます。

独演会でいいんじゃない、という意見があれば、

それはここで話が終わってしまいますけど、

やはり授業は教える側とそれを受ける側の相互のやりとりによって

初めて成立するものではないかと思います。

挙手をする場面にしても、教師の発問に学習者が協力する姿勢がなければ

わかっていようがわかっていまいが挙手はしません。

 

過去の英語の授業で、英語の先生が発問の後、反応のない集団に対して、

「ボランティーア!」と言っていたのを思い出します。

本当に、挙手をして発言することがボランティアの状態だったのです。

発言したからと言って対価を得られるわけではない、ということです。

授業が学習者のモチベーションによって大きく左右される現実は、

授業をしている中で常に持ち合わせていなければならないなと思います。

 

教師一人で創る授業というのはなくて、

学習者の「協力しますよ」「協力したいな」という気持ちがあって

授業は成り立つのだなと思います。

学習者の協力があるのとないとのでは

全く異なるものが生み出されると思います。