放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

中国に行ってきた。

いろいろなご縁があって、中国、主に上海の中学校や高等学校に行く機会を得た。

 

異文化との接触(という言葉ほど大きな体験ではないかもしれない)は、自分自身の生活を常にひっくり返してくれる有難い経験だ。古典教育、特に漢詩・漢文を学ぶ意義や方法を根底から考えることができたし、中国の語文教育からは日本の作文教育の課題が浮き彫りになった。課題は課題として受け止めるが、考えるべきはそれぞれの文化の中でなぜそのような様相になったのかだ、とわたしは思う。

 

また、中国での授業を見ながら、自分の中ではっきりしたのは、生徒の問いから出発する授業のあり方である。これまでに幾度も授業観として重視されてきたことだと思う。でも、わたしの中では、まだまだ表層的で腑に落ちないことが多くある。学ぶということは誰かが課題を提示して獲得していくものではなく、自分で知ろうとして獲得していくものなのだと思う。感覚的な表現しかできないけれども、その立場は、この先揺るがないものなのではないかと思う。

 

上海の街並みは、多くの観光客が目の当たりにするように、古き良き時代と未来都市を象徴する建築物が河を隔てて並んでおり、「あちら側」と「こちら側」という概念がとても合う素敵な場所だった。両方が視野に入っていることが必要でありながらも、やはり未来を創ろうとするエネルギーの強さを、感じずにはいられなかった。