放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

セカコイから「記録」の役割を考える。

映画「今夜,世界からこの恋が消えても」(セカコイ)を観た

 映画を見ました。お恥ずかしながら,私は20年来のジャニーズオタクです。デビュー前から人気を集めている「なにわ男子」の道枝くんが主演されているということで,前売り券を買って観に行きました。グッズも買ってしまうほどの熱の入り様です。いわゆる推しってやつです。

 メディアワークス文庫は手にしたことがなかったのですが,中学生がよく手にしているのを見ていました。放課後の図書室で「このシリーズ面白いんですよ」と生徒に言われたこともあります。ただ高校生のお話は自分には既視感のものが多くて,映画化が決まる前も作品自体にはあまり興味が持てませんでした。そのため,映画を観る前の事前情報はほぼなし。今回は道枝くんを入口にして作品と出会うこととなりました。

「記録」と「記憶」の区別をしていた

 ここからは少し作品のネタバレになってしまう内容があります。これから劇場で見たいと思っている方はどうぞ,映画館に行ってから読むようにしてください。

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▼以下ネタバレ含む。

 主人公・真織(福本莉子さん)は,眠ってしまうと記憶を無くしてしまう設定で物語は展開していきます。ラブストーリーがこの作品の一要素なので,この設定が作品の切なさや儚さを生み出しています。

 個人的に刺ささるのは,冒頭から,真織が毎日失われる記憶を取り戻すために前日までの日記を読むことです。あるきっかけにより,道枝くん演じる透と付き合うことになるのですが,彼女は「透くん」の記憶がないのです。日記という記録を読むことで,記憶にない「透くん」について毎朝知ることになるのです。現実にこんなことが起こり得るのかということは置いといて,興味深いのは,真織が「透くんの記録はあるけれど,記憶はない」と言う場面です。真織の中には,「記録」と「記憶」の違いがはっきりと存在しているのがわかります。

 最近の私は学校現場のチューニング中で,自分の専門領域である「学習記録」の実践研究から少し遠ざかっているのですが,「学習記録」研究ではよく「記録とは何か」「記憶との違いは何か」という問いに行き着きます。学習の本来の目的としては,身についている,自分のものになる状態が望ましいと言えるでしょうし,「記憶」はその状態に近く,そのための手段として「記録」という方法が重要視されます。「記録」の効果の一つには,「記憶」を呼び起こすことが挙げられます。

 真織ほどの極端な忘却ではありませんが,誰しも過去のことは忘れてしまうわけです。時間とともに何があったかを思い出せなくなってしまうし,その時に何を感じていたのかは,衝撃的な出来事でなければあっという間に消えていってしまいます。記憶障害でなかったとしても,人は忘却するという現実と対峙する場面が日常生活で必ず起こり得るのです。「記録」があることで,私たちは過去の蓄積された何かを取り戻すことができるのです。

記録し続けることに価値がある

 「学習記録」を大切にする実践者の多くは,辞典のように,ある一点の記録だけを見て思い出すこと,わかることに価値を置いていません。もっと深いところで,日々書き続けることによる価値を見出していきます。人によっては,書くだけではなく,語り継ぐことに意味があることを説く方もいらっしゃいます。そして日々の有象無象の記録は,その時には何の価値があるのかわからなくても,のちに振り返った時に価値づけされることがあるのだということも知っています。

 さらに,教育学の分野まで広げれば,実践記録の価値づけは後の人によってなされるのであって,実践の事実は書き続けることに一つの意味があると言えます。私の個人的な考えですし,極端な話ではあると自覚もしていますが,「明日記憶を無くしてしまうかもしれない」と思って書くくらいの切実さがあってもいいのかもしれません。なぜなら,そうやって積み重ねた記録が自分の”心持ち”を作るからです。

 劇中で,真織は日記を読みながら毎朝記憶がない自分に絶望しつつも,昨日の自分から送られる言葉に励まされ,透との楽しい記録が心の支えとなっていきます。これは,ポートフォリオの実践的価値に近いです。

 私は,過去の自分の言葉に教えられることがたくさんあると思っているので,この観点は非常に重要なことだと思っています。「自分が自分の先生になる」と言ったこともありますが,結局は,誰に何を言われても,自分の言葉で落とし込んで,自分自身に言い聞かせないことには何も変わっていきません。自分の内側で何かをどれだけ響かせることができるか,記録し続けることの価値はここにあるのではないでしょうか。周りの状況や環境がどうあれ,最終的な自分の行動判断は,自分の内側で行われるわけですから,「記録」の最も重要な価値は「思い出すこと」ではなく,記録すること(読むこと)によって,何度も何度も自分自身に影響を与え続けることなのではないかと思います。

 おそらくこのあたりは,「マインドセット」や「モチベーション」の研究と関連してくるのだと思いますが,国語科としては,何を,どのタイミングで,どう記録し続けるかといったことを言葉にして考えていくことが必要なのだろうな・・・と思っています。

 

 今日のところはこの辺にしておきます。夏休みはいっぱい映画や演劇を見てみると楽しいものですね(笑)。

 もちろん,記録を書き続けることも,記録を読み返すことも,時間と労力がかかることです。私も,学習記録の紙の束を前にして,途中で引き返したくなることがあります。

 それでも,学習者自身が記録の価値に気づき,記録を通してじわじわと成長していく姿は,何度見ていても嬉しくなる瞬間です。