放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

終わった直後に言語化できないこともある。

インプロ授業に参加してきた。体験後の記録について、私以外の参加者(おとな)からおもしろい話を聞く。「楽しい」感覚のあいまいさについてだ。

 

「楽しい」という実感は時間が経ってみると「そうでもないな」と感じたり、逆に体験が終わってすぐは何も実感していなかったりすることがある。ワークショップは大抵、体験後すぐに振り返りを記述することが多いが、終わってすぐに何も実感がない場合、振り返りを書けないことがある。直後にはわからないことがある。

インプロは特に、その場の空気や自分の感じ、思いつきを大切にする。失敗を恐れないことは、感覚に身をゆだねてみることでもあり、思考や制御からちょっと離れてみることになる。私の感覚では、インプロの瞬間に没入しているとき、メタ認知が発動しない状態になる。書こうとしても書けないことがある。場所を変え、モードが変わった時に、思考のスイッチが入って「何が起こったのか」「わたしはどんな感じだったのか」「なぜそうなったのか」といった問いが浮かんでくる。

 

授業も同じで、授業後、単元の終末、学期末、と時間を経ることで感覚の言語化は異なるものになるだろう。確かに記憶量は少なくなってしまうが、自分の実感を問い直すとそのときにはわからなかった新しいことに気づくことができるだろう。