最近少しずつ読み進めている。
今朝は最後の”伝記教材における「第三の書く」”が気になって読む。
教材文には,個人の生涯を集約し,伝記の形にしたものがあります。これをどう学習するか,まずは,すぐれた人柄,りっぱな業績を読み取り,それに感動をもつというのが,伝記理解の表向きの学習ということでしょう。しかし,これでは,どうも,人間理解,人物に学ぶという国語の学習としてはものたりない。その人物をもっと読み手に引寄せ,人物に学ぶとともに,伝記を書くというような学習ができないものか。(p.159)
なぜ「伝記」は面白いのか?
大村はまの単元学習を読んでいても「伝記」を扱う授業が気になってしまう。
元々,小学生くらいから世界の偉人伝のような本を読むのが好きだったからだろうか。
大学の卒業論文も歌人伝で,歌人の生涯と作品とを照らし合わせ,生活の中で歌がどのようにして作られたかに思いを馳せるのが好きだった。
一人の人物が世の中の情勢に翻弄されながら,どのような選択をし,どのような表現が生み出されてきたのか,興味がある。
伝記は,自分の人生の主人公としてどう生きたのかを示す,ノンフィクションの物語だと思って私は読む。
子どもたちは,私たちには到底想像できないくらいの可能性があり,これから多様な生き方を選択できる。そんな存在だ。
その時に,自分を主人公として,どのようなストーリーを描いていけるだろうか。
一人の人生の一端を垣間見て,それを鏡としながら自分自身の人生のストーリーを描くことに向き合っていく。ここに伝記教材の価値があると思うのだ。
また,情報を取捨選択する力も必要になる。
実際に生きた人物に対して,どんなことに感心をもち,どんなことに情熱を注いできたのか,想像しながら読む力が試される。
国語科としては,まず,その人物が書いたものや話した言葉を視写するところから初め,その行為からその人物になってみることにより,想像力を育みたい。
青木の実践では,伝記を本として作る実践の手引きが載っている。本を作るというのも,学習記録づくりと関連して興味深い。
ぜひどこかで実践してみたいと思わせる提案である。