放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

異動して知る学習記録のこと。

 教育大学附属学校へ異動しました。3月25日付の北海道新聞に,中学校教職員「退職者」名簿に自分の名前があったため,各方面にご心配をおかけしてしまったのですが,割愛退職といって,形式上の退職となります。引き続き教職員であることに変わりありません。

 

 道外の方には 札幌から函館への移動は想像つかないかもしれませんが,片道240kmの往復はなかなかの労働でした。教職員に限らず,北海道内を移動する方々の3月の大変さを身に沁みて実感するところです。それでも,新しい環境に身をおくことで,新しい活力を見出してきた私の気質には,引越は有難い環境の変化です。

 最も大きな変化と言えば,この機会に改めて紙の学習記録を読み直したことでした。令和3年度からのタブレット活用により,ほとんどの記録をデジタルに依存していたわけですが,結果としてはアーカイブ機能の見通しがうまく持てなかったため,今はすぐに閲覧できない状態になっています。別な方法がもっとあるのだろうなと思います。この辺りはもう少し学びたいところです。

 一方で,紙の学習記録は,相当なダンボールの量になりましたが,令和3年度以前の卒業生の記録を今でもすぐに読み返すことができます。全ての時間が,学習者の手で記録されています。学習記録実践は,その重さも,場所を取る部分も,湿度を管理して保管しなければならない労苦も含めて,本当に大変な実践です。しかし,授業者にとっても,学習者にとっても,見返すことで新たな発見につながります。リフレクションとしての機能は大きなものです。

 

 教育現場で働くようになって15年目になりました。とにかく過去の実践は全て水に流してしまったかのように消えてなくなってしまうものだなと思っています。どの年代にどのような授業をしたかを知ることができる,記録としての価値が学習記録にはあることを改めて知るのでした。

 

 

2022年に出版された道徳教育関連の書籍12選

 私のここ数年の道徳授業は,インプロ(即興演劇)実践の場として活動型のプログラム開発にチャレンジすることが多かったです。かなり偏った授業づくりをしているため,今年はもう少し全体像を知った上で実践したいのですが,どうだろう。

 とにかく,この1年は全く教育書を手にしていない。買ってすらいない……。ひとまずどんな書籍があるかCiNiiで調べてみました。おそらく一つの分野で10冊以上読めば最近の傾向を知ることができるでしょう。繰り返しますが,1冊を除いて全く読んでいません。宣伝文句だけで書きます。

大学の道徳教育の参考資料として使われているんだろうな,という本。基礎資料としてどうかな。参考資料に派生する本だといいな。歴史を知るってことは大事なことだと思う。

板書で見るシリーズは小学校版でよく見かけるけど,中学校バージョンで,しかも道徳授業のものもあるのか……。板書は1時間の流れがわかりやすいビジュアルテキストだろうな。ICT時代になって板書の機能も変わりつつある中で,板書はどう変わっているのだろうか。振り返ると,個人的には電子黒板とタブレットによって板書量は確実に減ったなぁと思う。

明治図書の「発問・言葉かけ大全」シリーズ。教師の言葉で子どもの発言は変わるっていうのは当然のことで,売り文句の「指導の語彙」って表現がすごい。

ご存知「考え,議論する道徳」の基礎スキル本。初任者向けと思ってても,実際にはこれまでの実践の振り返りになったりするのかな。

同じく「考え,議論する道徳」シリーズ。「導入・終末&評価」は,実践の場でもどうあるべきか迷っている人が多そう。

「いちばんやさしい」とか「ゼロからわかる」とか,入門期の先生をターゲットにしている本が多いですね。

佐藤幸司先生のご著書。読売新聞の連載をまとめられた1冊です。道徳授業をいかに作るか,「ニュース」という教材を扱った実践提案本でしょうか。

この本だけ唯一読みました。雑感ですが,道徳に限らず「地域教材での授業づくり」という発想は,地方の研究発表で一定の実践の蓄積がある気がします。個人的には故郷の地域教材を扱っているので,いろんな感情が湧きました。

一番読みたい本かも。「哲学」ってキーワードはどのあたりから学校教育に浸透したんだろう。

桃崎先生の授業提案には「やってみたい」が詰まっている気がします。到底真似できませんが。笑 2010年代に何度か模擬授業を受けていて,今でも記憶に残っている授業があります。高い質で授業を構成する力が圧倒的です。これまでの勤務校でも職員室の誰かが1冊は持っているシリーズです。

モラルジレンマ授業理論の本らしい。「道徳は教えられない」と言えば……

2023年出版本ですが,こちらの本も気になります。

電通育英会リーダー育成塾カンファレンス2022感想

https://www.dentsu-ikueikai.or.jp/transmission/leaderconf/

 

1.紙かデジタルかという問いからの脱却

 

 子どもたちの発達段階における学び方はひとまずおいといて、少なからず自分は、手で書くことと、こうして打つこととの両方を駆使して学びつづけている。どちらも共存する中で、自分がその時々の状況に応じて必要だということを「学びながら」選択していく。常に答えが先にあるのではなく、こういう時はこっちが良さそうだっていう学習をしているんだな。

 

2.学び直せる力

 

  「学び直し」ということがいつでも、だれでもできることではないということを私はよく知っている。現職の途中で大学院研修に行ける人間は少数であることも知っているし、こんな年末の日曜午後にオンライン研修を受ける人が多くないこともわかっている。みんな、なんとか手持ちのスキルで逃げ切りたい。だって、学びってエネルギーが必要だもの。

 でも、ほんの少しの希望は、ほとんどの教職員がもう学びが与えられるものではないってことに気づき始めていることだ。

 新型コロナウイルスについての情報も、その社会情勢の変化も、タブレット端末の利用についても、今や現場で判断・決断しなければならないことがたくさんある。誰も次に起こることを予測して教えてはくれない。子どもたちや保護者の反応、起こり得る事態、全て現在進行形で難しいね、って言いながら進んでいる。後から通知がくるなんてことは、最近では当たり前のことだ。使える機関、使えるサポーターをフル動員して、日々アップデートしている感覚である。数年前の提案資料が今はもう使えなくなっている事例がほとんどであって、学校の柔軟さが試されているんだって思った。

 

3.義務教育段階での学びの重み

 

 高大の実践を聞く中で、今目の前にいる中学生がこれらの学びにつながっていくのだと思うと、何が大切なのだろうかと問わずにはいられなかった。

 たとえば、大学でのオンデマンドによる事前学習。今、私は、子どもたちが授業時間外での学習時間とその質をどう創り出すかという問題を抱えている。端末を持ったことで、純粋な教科学習のための動画視聴だけでなく、趣味のためやゲームでの活用をし始める子どもたちがたくさんいる。事前学習を必要とする学びの場で、どれだけの学習者がついていくことができるだろうか。必要に迫られればやるのかなあ。

 冬休みの教員研修で与えられた事前学習動画でさえ、誰か代わりに見た人から内容を教えてもらえばいいかなって考える自分がいるので、やっぱり、学ぶってことに関していえば、もう大人も子どもも変わりはないのかも。

 ぐるっとまとめて、みんなで一緒に考える場が必要なのかもしれない。

 

 今回はリーダー育成塾のプログラムも垣間見ることができたので、教員研修としても、どんなはじめの一歩を踏み出せそうか、引き続き考えたいと思った。

ただ書くー11月の振り返り

作文、ではない、ただ書く実践をしたい。タブレットじゃなくて、手書きで書くことをしたい。その二点から始まった11月でした。

 

ここまで6-7回目の授業が終わりました。

縦書き原稿用紙を横書きで書いたり、ダダイズム的に文字のアートが始まったりして面白いですが、既にマンネリ化が始まってます。

最近の振り返りでは、「ネタが尽きた」ってよく聞きます。子どもたちの表現の多くは、ネタの発表だったようです。どうしよう。笑

それでも、揺るがず、私の基本スタンスは、子どもたちと相談です。

 

ライティング・ワークショップみたいなミニレッスンもなくて、とにかく、誤字だらけ、形式も無視した、表現活動に特化した時間を週末1時間だけ帯単元で続けています。

 

ねらいは1点。自己表現です。

フィクションでも構わないので、自分語りをとにかくしてもらえたらと思っています。

そんなこと無視して、クラスの友だちのことばっかり書いているクラスもあるけれど、友だちをどう見ているかっていうのも、ある種の自分自身の見方の表出なので、めちゃくちゃ良いです。

探究につながるほどの継続したテーマはまだ出てきていないけれど、書くことがコミュニケーションの場になりつつあるのかなって思っています。

書かなくても、他の人が書いたのを毎時間読んでいるので、読むのを聞くだけでも対話になっておもしろいです。

 

とにかく、授業を面白いと感じることが、今一番、学校で必要なことのような気がしています。

私自身が書いたものを通して、子どもたちの今の姿を見つめられるのも良いです。

 

かなり実験的な授業ですが、週末の授業が楽しみになるってことは、大切なことだと思います。

現場の実感ばかりで、なんの根拠もありませんけど、子どもたちの多くは楽しそうです。

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最近は写真のライブラリがジャニオタばかりです。写真部の活動が停滞気味でアイキャッチになる画像がないな。

9・10月の学校のふりかえりー作文発表会から文化祭,軽井沢訪問まで

 

 10月に入って,イベントが目白押しで,感情の起伏が大きい2週間程度を過ごす。

 

 ただ,楽しみなことの移動中は,色々なことを思い出したり思考したりすることができる。もうちょっと自分の過去の記録を読み直してもいいかもしれないなあと思う。それから,一人一人ともう少し向き合いたいなあとも思う。自分にとって移動の時間は,省察の時間なんだなあと気づく。オンラインの研究会だったので気づかなかったけれど,研究会後の帰り道のつぶやきとか,移動の時間がとても学びに必要なことだって知った。

 

 特に考える時間が多かったのは,形式や正誤にこだわらずに書き続けるということだった。誰かに読まれるためではなく,ひたすらに自己表現をし続けるということが大切な気がしてきて,この週末の授業は,1時間だけひっそりと「ただ書く」という授業をする。

 とはいえ,何もテーマがないと書けない人も多いことは知っているので,「最近気になっていること」というざっくりとしたテーマだけ共有した。テーマに沿ってもいいし,そうでなくてもよい。「ウソ日記」の面白さを知っているので,大抵の子たちは楽しく書いているようだった。

 「気になることがない」という子が各クラスに一定数はいて,「気になることがない自分」について書いているのを勧めてみると,とても興味深い表現が出てきて,ただただおもしろいなあと思う。「いいね,いいね」と言いながら,いくらにでも見方は変えられるんだって思う。すると,心が軽くなる気がした。

 

 来週は,公開してもいいよという子の文章を読んで,また書き続けようと思う。

 

 移動中は,石井光太さんのレポを読み続けた。たくさんの子どもたちのことを思い出すことができた。

 

浴びたい。

LIVEが好きだ。

リモートでは得られない、身体がぞくぞくするようなLIVEの感覚が好きだ。

人の息遣い、言葉の強さ、生きる表情、イントネーション、その全てを直接感じたいのだ。

 

気づいたら、自分も似たような振る舞いになってしまっているかのように。

気づいたら、自分の言葉になってしまっているかのように。

 

確かに、学びが私の身体に溶け込んで、私自身との境目がなくなるほどに、私は新しい何かを浴びたい。

生活を言葉にして共有することの価値

 文化祭を前後して,生活体験文の授業に入りました。生活体験文とは,おそらく綴り方教育の流れの上にある実践なのだと思いますが,私が勤務する地域では多くの中学校で夏休みの課題として取り組まれているものです。特別にミニレッスンをすることなく,宿題として作文を読みました。

 ジャンルとしての課題はあって,単なる説明文になってしまうなど,気になることは多々ありました。ですが,課題を見ようとするとキリがないですし,課題を指摘したところで「作文」に対するモチベーションが下がってしまうのは子どもたちの様子でわかります。とにかく良いところを見つけてフィードバックすることを心がけました。

 

 授業が終わって,「先生はなんでそんなにフォローができるんですか!?」と聞いてくる生徒もいました。こちらも頑張っていることをよく見ています。笑

 

 どんな作文も,その人のきらりと光る表現があったり,構成が優れていたり,聞き手がわかりやすいように噛み砕いて表現する工夫があったりします。原稿用紙半分しか書いていなくても「端的に内容をまとめましたね」「〇〇という言葉に筆者の感情が凝縮されています。この言葉があるかないかでは読み手の受け取り方が変わります」なんて言ったりします。笑 フィードバッグできない作文はないわけですね。この辺りは『一言作文』の実践で培ったスキルなのかなと振り返る瞬間がありました。

 人間関係も少しずつ見えてきているので,発表後にコメントをし合ったり,他の人の内容と比較してみたりする場面も設定しました。発表の仕方が優れている人の,「何が巧みなのか」分析してみるのも面白かったです。

 

 一番のハイライトは,休みがちな生徒たちの活躍でした。秋休み前の終業式だったため,通知表を受け取ることを目的に登校した生徒がいます。秋に差し掛かって,勉強の内容についていけなくなる生徒,人間関係に悩み出す生徒が見えてきていました。でも,クラスの約30名の体験を持ち寄って耳を傾けていると,それぞれの知らないところでいろいろな体験を積み重ね,悩みや葛藤を抱えながらみんな暮らしているんだと知ることになるのです。

みんなの発表を聞いて,気持ちが楽になった。

 

勉強が苦手なのは自分だけじゃないって知った。

 ある生徒はこんな振り返りを書いていました。

 表現することで自分とはどういう人間なのかを考え,それを発表することで,実は自分だけが悩んでいるわけではないことを知る。そこに作文発表の価値があるのだと思う1日でした。